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2004年09月16日(木) 僕は生きる

最近、僕の周りで何人かの人が亡くなった。
数年前、僕がベンチャーを立ち上げていた頃の仕事仲間だ。

2人は老齢だったので、しかたがない。
誰でも知っている有名経営者だ。
僕はその2人から資金援助を受けていた。

だけど、もう2人はまだ若かった。
1人は30代前半。
もう一人は40代前半。

30代前半で亡くなった友人の死亡原因は欝による自殺。
ネットベンチャーの経営者だった。
僕と仕事をしていたころ、経営は順調だった。
雑誌や新聞にも良く登場していた。
でも、業務は過酷だった。
自宅を持たず、オフィスに寝泊りしていた。
僕よりも少し年下だったし、いい人間だったので、僕たちは彼に仕事をどんどん発注していた。
彼も僕を慕ってくれていた。
でも、激務がたたり、途中から段々とおかしくなっていった。
欝と躁が交互にやってくる。
躁状態のときは、僕の携帯に電話がかかってくる。
ほとんど意味をなしていない話を延々と1時間以上に渡ってしゃべり続ける。
電話を切らせてくれない。
欝の時には泣きながら、悩み事を延々と話す。
2000年前後にはネットベンチャーが無数に立ち上がり消えていった。
彼は成功者のほうに分類されていた。
表面的には成功者だったけれど、精神的にはほぼ限界だった。
そして、彼は経営者を解任された。
解任後は更におかしくなった。
そして、韓国でビルから飛び降りた。

40代前半の友人は、渋谷のクラブの経営者だった。
そのクラブは音響、映像の設備が整っていたので、僕は仕事でも良く使った。
製品発表等のイベントに使っていた。
偶然だけれど、僕が文章書きのコンテストで大賞を受賞したときの受賞式もそのクラブだった。
彼は授賞式の会場でVIP席に座っている僕を見つけ、「仕事ですか?」と尋ねてきた。
彼は僕と同じ大学の出身、僕と同じ会社出身、同じ営業部に在籍していたこともある。
彼も成功者だった。
お店の経営は順調でベントレーに乗っていた。
でも、激務のせいか病に倒れ、亡くなった。

数年前には僕の親友が亡くなった。
小学生の頃から彼が亡くなるまでずっと親友だった。
僕にとって最も大切な友人だった。
彼は、慢性の欝状態だった。
常に多くの薬物を服用していた。
酒とハルシオンで常に酩酊状態だった。
オーバードーズ。
彼は転勤で福岡に赴任していた。
毎週、僕に2〜3時間の電話をしてきた。
東京に出張してくる時には僕の家に泊まったし、僕も福岡に出張するときには彼の家に泊まった。
亡くなる前の週、彼はいつものように僕に長い電話をしてきた。
酩酊状態で「お前は俺にとって最高の友達なんや」と泣きながら言った。
それが僕が彼から聞いた最後の言葉だった。

たぶん、僕も今までの生活を続けていたら、あと10年くらいしか生きられなかっただろう。
医者からも「このままの生活を続けていたら、心筋梗塞等で突然死していたかもしれません」、と言われた。

僕は、生きたい。

僕は成功者ではない。
失敗者ではないけれど、成功者とはとても言えない。
思い残すことがたくさんある。
まだ成すべき事をできていない。

僕は生きる。
生きる事を最優先にする。
だから、体調を完全にするまで、仕事には戻らない。




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孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように

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