斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2002年11月15日(金) |
幸福だった日本「ブランド」社会主義モデル |
世界で唯一の成功例と言われた日本の社会主義体制が崩壊の危機に瀕している。 1990年代に世界中の社会主義国家が崩壊していくなかで、日本だけが生き残ったと思われていた。 かつての日本は結果の平等が国家によって保障されている国だった。 がんばってもがんばらなくても結果は同じ。 お勉強をがんばっていい学校を経ていい会社に入ろうが、遊んでばかりいていい学校に入れず零細企業に入ろうが、実はそれほど生活レベルは変わらない。 ローリスク・ローリターン。 努力や才能、運の如何にかかわらず、結果を保証する社会主義体制。
投資で儲けようにも、キャピタルゲイン課税。 お金持ちの家に生まれても、過大な相続税。 お金を一杯稼いでも、懲罰的とも言える高額な税金。
額面上の収入には多少の差があっても、実際の手取額は額面ほどの違いはない。 お金持ちも貧乏もない。 本当の平等社会。 富は稼いだ人から稼がない人へ、頑張った人から頑張らなかった人へと循環する。
いい学校、いい会社なんてただの見栄。 本当の意味での「勝ち組」も「負け組」もいない。 みんな結果は同じ。 違いはブランドだけ。 貧富の差も勝ち負けも幻想でしかなかった。
日本人は経済的な格差などほとんどないなかで、ほんの小さな差異だけを求めて競争していた。 記号的差異。 ほとんど同じ結果のなかで微妙な差異を求める、おおいなる競争。 見栄の張り合いだけである。 ブランド社会主義。 微妙な差異のなかでの見栄の張り合いは日本独特の奇妙なカルチャーを生み出す、一種のエネルギー源でもあった。
牧歌的社会である。 本当の競争社会など存在せず、単なる見栄の張り合いだけだったんだから。 経済的な社会主義モデルのうえに、ブランドによる競争を持ち込んだ日本の幸福モデル。
ところが、1990年代の後半から日本的社会主義体制が崩壊に向かった。 経済そのものの縮小とデフレ。 日本社会主義は「結果の保障」をするだけの体力を失った。 勝つことを認めない社会主義体制のままでの経済のシュリンク。 結果として、日本は「負け組」か「負け組ではない」かの二択だけの社会になってしまった。 「負け組」か「負け組ではない」だけの競争社会。 「勝ち組」は存在しない。 誰も勝つことはない。 勝つことを容認しない経済体制はそのままなのだから。 生き残ることだけが目標のサバイバルゲーム。 現時点で「負け組ではない」人達にも何の保障もない。 いつ「負け組」に転落するかわからない。 ハイリスク・ローリターン。
僕らは崩壊に瀕した社会主義体制のなかで極めて遠くなった「勝つこと」など考える余裕を失った。 勝ったところで懲罰的税制が待受けているだけだ。 勝つことを認めない社会主義モデルはそのままで、負けるリスクだけが増大したのだ。 目標は「負けないこと」もしくは「生き残ること」。 もはや見栄経済ではない。 本当に路頭に迷う危険が常につきまとうのだ。
最近、かつての日本的社会主義体制が健在だった頃は実は悪い時代ではなかったのではないかと思う。 本当は「勝ち組」も「負け組」もいない社会。 本当はみんな同じなのに、単に見栄の張り合いをしているだけ、なんて実は幸せではないか。 誰も飢えていないし、寒さに凍える人もいない。 貧富の差など、ビールと発泡酒くらいの差でしかない。 「記号的差異」のためだけに努力し、満足する社会。
かつての日本は「社会主義モデルのなかに記号的差異を求める競争」を持ち込んだ社会であった。 日本は本当に幸せな国だったのだ。 皮肉ではなく、今はそう思う。
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