99745..チェリー
訪問診療。
2006年11月14日(火)
今日は、訪問診療でした。
「人はなぜ生きるのか?」について、先生は語りました。
何気に真面目に・・・何だか、倫理の授業みたいだね。

「人の生き方は様々であり、自由である。」
命を掛けて、登山に挑戦する人もいれば、なぜ、命を掛けてまで、体や命を酷使するのか?と思う人もいるが、それが『その人の生き方であり、生きているということ』である。
だけど、一般的には、人生健康的(病気と健康は、対局に存在するのではなく、患者にも元気が存在する)に生きるには、体は酷使せずに、早寝早起き、栄養が偏らない食生活、など、一般的に健康に良いとされる生活を送ることが、適切である。

先生が、何を言わんとされておられるか、わかりますでしょうか…?
頭のおバカな私は、超〜難しい!!!と考え込んでしまいましたが、自分自身の生き方というものに、置き換えてみると、ちょっぴり理解はできたような気もする…。

要は、医師は、私の病状をしっかりと診て、今の私に適切だろうとされる生き方を推奨するが、患者の自己責任の元、医師のアドバイス通りに生きようが、自分の考えに基づいて選んだ、自身の生きる道をどう歩もうが、私の勝手であるということか?
医師は、医療的根拠の元、医療者としてのアドバイスはするが、選ぶのは、患者自身である。だって自分の人生だもの。
ってことだ。
安静にと言われて、死んだように生きるよりは、多少危険を侵してでも、生きる実感を日々感じたい。
という選択も、頭ごなしに、否定されるべきではない。
それとて、医療者だからという理由で、患者自身の選んだ生き方について、「間違ってる」とか、「病状が悪くなっても知らないよ」とか、この先生は否定はしないんだろな。
それが、在宅医療の現場なんだろなぁ〜何時に寝ようが起きようが、食事を何時に食べようが食べなかろうが、外泊許可なんか必要なしに、どんな病状であれ、外に出掛けることも自由にできるのだから。
健康や病気に関係なく、自分の生き方たるものに、守ってくれる人はいないのが、責任ある大人な生き方なのだ。
家族やヘルパーさんは、医療者の立場からの、会話はないし、唯一、在宅では、在宅医や訪問看護師さんが医療者だけど、病棟とは違い、〜はダメとか、〜しなさいは言わなくて、基盤は自分の生活の場なのだから、患者の自己選択の上だ。
どう生きるか?選ぶのは自分自身、そして、責任も、もちろん自分自身にあるのだ。
在宅にいる糖尿病のおばあさんが、きなこもちを食べても、病棟じゃないから、「医師の指示に従わなかったら強制退院ですよ!」なんて言われないし、「食べたらダメ!」って言っても、訪問看護師さんが帰った途端、自由に食べられるわけで、「どうしたら、きなこもちを食べながら、血糖をコントロールできるか?」考える方が現実的かもしれなくて、そういうのが在宅医療には、毎日ありふれていて、ちょっぴり、在宅医の先生は医師っぽくなかったりする。。。(^−^)

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