| ∈色々な、人と気持ち。∋ |
| 2006年07月24日(月) |
今日は、午後から、大学の作業療法の先生が来られ、その後、訪問看護があり、忙しかった〜。 だけど、先生も訪看さんとも、女同士のおしゃべりが楽しかった!
今日は、先生と話していた、「なぜ、人は、1人1人ずつの人間として、見れないのか?」
「近頃の女子高生は…若者は…」とか、ただその場で見た制服を着た女子高生という存在そのもので、全ての女子高生はそうだと、認識してしまう。 例えば、電車でお年寄りに席を譲ろうとしたが、「構うな!」と邪険に拒否されてしまった。 「もう二度と譲るもんか!」とか、「お年寄りには席を譲りにくくなったよ…。」という気持ちは、当たり前に生まれるものかもしれない。 駅で、盲導犬にユーザさんが、ちょっと厳しい言語で接していた。 「うわ〜盲導犬って、かわいそう…。」
一目見た印象、ちょっとした時間の接点で、『お年寄り』『障害者・高齢者』『盲導犬のユーザ』という固有人物の印象像が決まってしまう。
例えば、茶髪のへそ出しスタイルの女子高生に、私は段差を手伝ってもらったことある。 好意で席を譲ろうとしたが、相手の方はたまたま不機嫌だったのかもしれないし、もしかしたら「お手伝いしましょうか」のコミュニケーションの投げ方に、手違いや誤解が生まれ、気分を害されたのかもしれない。 盲導犬ユーザさんは、その時、たまたま盲導犬に指示を与えてたかもしれないし(子供にちょっと厳しい言葉で叱る時みたいに)、たまたま、そういった扱いをする人なのかもしれない。 全ての『女子高生』『障害者・高齢者』『盲導犬ユーザ』がそうであるとは、限らないのだ。
私は、笑顔でいることに、辛くなる日もある。 「ありがとう」の気持ち、大切にしたい。 やってもらって、当たり前とは思わない。 だけど、「この前、障害者の人がさぁ〜。」とか、マイナスな印象を耳にすると、「いや、障害持った人、みんなそうじゃないよ。」 「だって、人間。1人1人違う生き物でしょ。」とか、落ち込んでしまう。
そんな話を、ふとし合ったりして、あ〜同じこと考えてる方いるんだな〜。 と、ちょっと、心が暖かくなったりしたのでした☆
時には、傷ついても、凹んでも、ちょっぴり勇気を出して、また人の所へ歩んでみるよ! そんな気持ちになれた、今日。
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