99745..チェリー
色々な、人と気持ち。
2006年07月24日(月)
今日は、午後から、大学の作業療法の先生が来られ、その後、訪問看護があり、忙しかった〜。
だけど、先生も訪看さんとも、女同士のおしゃべりが楽しかった!

今日は、先生と話していた、「なぜ、人は、1人1人ずつの人間として、見れないのか?」

「近頃の女子高生は…若者は…」とか、ただその場で見た制服を着た女子高生という存在そのもので、全ての女子高生はそうだと、認識してしまう。
例えば、電車でお年寄りに席を譲ろうとしたが、「構うな!」と邪険に拒否されてしまった。
「もう二度と譲るもんか!」とか、「お年寄りには席を譲りにくくなったよ…。」という気持ちは、当たり前に生まれるものかもしれない。
駅で、盲導犬にユーザさんが、ちょっと厳しい言語で接していた。
「うわ〜盲導犬って、かわいそう…。」

一目見た印象、ちょっとした時間の接点で、『お年寄り』『障害者・高齢者』『盲導犬のユーザ』という固有人物の印象像が決まってしまう。

例えば、茶髪のへそ出しスタイルの女子高生に、私は段差を手伝ってもらったことある。
好意で席を譲ろうとしたが、相手の方はたまたま不機嫌だったのかもしれないし、もしかしたら「お手伝いしましょうか」のコミュニケーションの投げ方に、手違いや誤解が生まれ、気分を害されたのかもしれない。
盲導犬ユーザさんは、その時、たまたま盲導犬に指示を与えてたかもしれないし(子供にちょっと厳しい言葉で叱る時みたいに)、たまたま、そういった扱いをする人なのかもしれない。
全ての『女子高生』『障害者・高齢者』『盲導犬ユーザ』がそうであるとは、限らないのだ。

私は、笑顔でいることに、辛くなる日もある。
「ありがとう」の気持ち、大切にしたい。
やってもらって、当たり前とは思わない。
だけど、「この前、障害者の人がさぁ〜。」とか、マイナスな印象を耳にすると、「いや、障害持った人、みんなそうじゃないよ。」
「だって、人間。1人1人違う生き物でしょ。」とか、落ち込んでしまう。

そんな話を、ふとし合ったりして、あ〜同じこと考えてる方いるんだな〜。
と、ちょっと、心が暖かくなったりしたのでした☆

時には、傷ついても、凹んでも、ちょっぴり勇気を出して、また人の所へ歩んでみるよ!
そんな気持ちになれた、今日。

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