∈往診でした。∋ |
2003年12月12日(金) |
今日は神経内科の往診でした。 先生が、デッカイマスクされてるので、どうしたのか?と思ったら。 お風邪を引かれてました。しんどそうだった・・・。大丈夫かなぁ?? とにかく、早く治られますように・・・。 あっ、それから、それまで仕事楽でありますように・・・☆ (とか言っても、病院に帰ったら、患者さんたくさん待たれているんだろなぁ・・・。)
それからシャワー日だったので入って、昼ごはん食べて、あとは何もないので、早くに日記書いてます。 只今、15時・・・。 今日の予定の訪問看護は、明日に予定変更。 今日の曜日の担当看護師さんを拒否してしまったしで、結果的に、来る人がいなくなってしまった。 全ては、自分に跳ね返ってくるということですよ。
何か母まで、午後のトイレ介助がきっかけして怒り出してしまい、大げさになってきてるかも・・・。 ふとちょっとしたことが、身近な周りに、大きな波紋を起こしてしまう・・・。 とか思ってたら、何か母はお友達さんと話しに夢中になってた(*^▽^*)ケラケラ〜
病室では、仮面の患者の顔をしてれば問題は避けて通れるけれど、自宅ではそうはいかない。 個々の名前を持った人となるし、また家族もそれぞれの思いを持っている。 聖者みたいに、理想の患者、理想の家族を演じては、現実は生きていけない。
立派な人もいるだろし、病気を経験して、つながりの深い家族になることもあるだろう。 でも、きっと、その絆ができるまでに、ただの見てるだけの他人とは分かち合えない、大変な思いも共感してきたと思うのだ。 理想が全面に出てしまうと、援助される側が疲れてしまう・・・。
介護されるには、サポートを受ける側にも、必ず責任がある。 老いては子に従え、とか言うけれど、同じようなものなのかな? 一番かしこいのは、自分の意思は持たないこと。 心を抹消して、生き抜くこと。 たとえば、反論するには、それなりの回避できないものも、負うことになる。 この世知辛い世の中で、自分を省みて過ごしている人なんて、そんないない。 一人一人が生きるのが、精一杯。それでいい。それがいい。 だけど、やりがいとか、理想とかの、道具にはなりたくない。 あえて、なってみろ。なったふりして、人に味方を得て、楽に生きろ。 とアドバイスくれる人もいるけれど。
あたしは、自分に嘘はつけない。 嫌いな人は作りたくないけれど、人に自分の気持ちを、無理して合わすことはできない。 それは、何の誰のためにも、ならないのだと気づいたなら・・・。
患者側として、理想の看護を押し付けてるのだとしたら、怖いなぁ。 ごまかさず、お互いの本音、分かり合えれば、いいんだけどなぁ。 誤解は解きたい。
だけど、やっぱり、今サポートして下さってるみんなは、好きなんだ。 好きだから、悩むんだよぉ。
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