∈今の今の幸せ∋ |
2003年09月13日(土) |
今日は気分が良かった。痛みが楽だった。 夜はグッスリ眠れたからかなぁ?息も苦しくない。 吐き気があって、食欲は低下してるけれど・・・。 ダイエットになって、かつ体力は低下しなければいいのに。
昨日の往診は、来週の呼吸の精密検査は、やった方がいいよ、と。 今は調子が悪いから、消極的な気持ちもあって。 だけど、「しんどい時だから、きちんとして、原因がわかって治療ができれば、今のしんどいのが楽になるかもしれない。結果に出なければ、安心できる材料となる。」というようなこと言われた。
今のしんどいのは再発ではなかった。 前からの病態の引きずりというか、大きな波の低下時らしい。 それも、受け止める・・・ことが、必要。 受け止めることも、受け入れることも、できないまま・・・。
往診後の夕方に、訪問看護師さんから電話がかかってきて。 というか、心配でかけてきて下さって。 わたしは出なく、母が出た。 というか、わたしは出たくない気分だった。ごめんなさい。 (たぶんグチってしまうだけで、よけいに心配かけたくなかったのよ・・・。)
「来週のチェリーちゃんが検査入院してる間に、夏休み取るねぇ。」 「それから、先生は初心と気持ちは今も同じだよ。絶対に、見捨てないよ。」と、言ってたよと。
この頃、病状は一日一日、変化についていけない、くらい。 だから、時々、どーなるの!!!と、不安に駆られる。
周りには、いつも、家族しかいない。 看護師さんは、その時間しかいられないし。 家族も、わたしがしんどくなると、わたし以上に、パニックになる。
誰か、しっかりしてー。と、求めてしまう。 受け止めて欲しい。助言が欲しい。安心させて欲しい。
・・・欲しいことばっかりで、満たされない。安心が。
在宅医療。 入院療養。 その、どちらか。
わたしは、在宅を選んだ。 でも、迷ってもいる。 迷いというのは、いつまで、この生活が続くかな・・・とは、いつも思っている。 介護的にも、もちろん病状のこと・・・も。
だから、「今日が大切。」なことも。
在宅医療も、身近になり始めたけれど、まだ理解されない部分もある。
「入院しなくてもいいんだから、すぐ良くなるよ。」とか。 「そんなあきらめないで、もっといい病院探しなさいよ。」とか。
手術や検査、救急医療を除き、病院で入院している患者のそのほとんどは、在宅医療でサポートできるとも言われている。 もちろん、慢性疾患や難病など、完全治癒が難しく、長く付き合う病気は、尚のことだと言われる。 人が地域の社会で、それは病気や障害のあるなしに関わらず、暮すことは自然なこと。
ある日そう、訪問看護師さんは、おっしゃられていた。
もちろん、在宅と入院との、長所と欠点はある。
そのことを、本人と家族が把握することが、必要だ。 しかし、必要以上に不安にならずに、周りのサポートして下さる方を信頼し、自分の病状をきちんとみつめる。 自分の体。自分の生き方。自分の人生。なのだから。
入院については、病院側の医療制度の問題がある。限界もある。 現実は、医療制度に追いやられ、在宅しか選択できなかった・・・ということも多い。 綺麗事の裏には、様々な現実が渦巻いてもいる。
そしてわたしは、まずは在宅を選んだのだから、家で、できるだけ安定し暮せるように・・・自分自身が病気に、精神的に振り回されては、元も子もない。
でも、それが言葉にする程は、安易ではない・・・。
迷う。とまどう。立ち止まる。あきらめる。考え直す。 ・・・その繰り返し。
わたしは、全く、前進も成長もしていない。 でも、それを、そんな今を自分で否定しないこと。 それが、今、わたしが必要なことなのかな?
今、側にいてくれる人々に、感謝しています。 人に感謝すること。 あらゆるものに、素直に感謝すること。 わたしは、決して、一人では生きていけない。 それを、マイナスではなく、プラスに思ってみると。
あきらめることも、そこからまた歩き出すことも。 あきらめないことも、時には、立ち止まることも。
一人じゃないから、できるんだと思う。 今日の今日が、あるんだなぁ、、、と、思う。
それだけで、もう幸せなことなんだろな。
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明日も、調子が良ければいいなぁ。
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