無題というほどで、、特別なことがおこったわけじゃない
亡くなった人のことをふと思い出すことがある ほんのちいさな表情の変化だったり、しぐさだったり、、、 それは ひそやかと云うにふさわしいひとのことだ
にぎやかで自己主張の強かった人はなぜか無口、無表情な 時のことのほうが思い出される
わたしはことさら霊感が強いとか霊がみえるという人間ではない ただ、ときおりごくまれに’けはい’のようなものを感じることがある
台所で夕方、夕食のしたくをしながら薄ぼんやりと考え事をしたり、あるいは手早く調理の準備をしたりしている時に、、、 ’視線’というのか’気配’というのか、、、ふわりとしたもの、ゆらりと したもの、なにかがふっと動いたようなかんじ そう、ただの感じに過ぎないのだけれど、、、
そういう時は、あ、○○さん逢いにきてくれたんだと 心ひそかに思うことにしている 若くして生を終えた人 ひそやかなたたずまいだったひと、、 わたしの知り合いにはそう何人もいないのだが、、たぶん、そっと逢いにきてくれたんだろう そう、思うことにしている。
しかし、わたしは普段はあの世だの、輪廻だのをまったく否定したい人間なのだが、、、このときばかりは、空気のゆらぎにすこし驚き、その瞬間 ’あ、○○さん’と無意識にその人のことを思ってしまう
ひとしきり、彼女たちのおもいでに浸って、、、そうして それが わたしの供養なのだとおもう
果たして 自分がひとの思い出のなかにいつか登場するのかと 考えると なお おかしな気もするが、思い出されなかったら ちと悲しいかなとも 思う・・・
そのくらいのわたしというのも、いいではないか そのくらいの生なのだと・・・
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