きままくらし

2002年09月03日(火) 9月に

家で普通に生活することはありがたきかな...

 あることが難しいのでありがたいのであって、ふつうに日常に埋没する
 ことはあまりに当たり前のことなのだと改めて思った。

 また、何か起こるのか?と不安な日々を送っていたのがウソのようだと
 言うのはあまりに安易だが、、、

 夕食のメニューを朝、夫に告げる
   新サンマ 塩焼き
   タコの薄作り  
   冷奴
   大根と厚揚げの煮物
   ナマの野菜
   浅利の味噌汁

 夫は「あ〜、やっと普通の夕飯だね」と言った。

ここひと月、夕食はホカ弁、コンビ二、外食が多かった。
わたしは食に関してはあまり執着はない(つもり)が、夫は食事がとても大切な人なので、いつも夕食の献立には難儀する。
それもこれも、長年主婦業をしてきたのだが一向に上達しない料理の腕と、面倒なことがとにかく嫌なのが災いしている。

実家に長くいたので、食事の支度はわたしの分担だった。これもあまりやる気のない母のせいで父の好きな野菜の煮物や酢の物などは私が作っていたが私自身も本来料理は好きではなかったので心のこもったものではなかったと思う。そう思うと父はあまりに家庭運にめぐまれぬ人だっだんだなーと気の毒にさえ思える。


祖母はかなりの変わり者だったので、学問好きというか偏った考え方のひとだったし かなりの家事オンチだった。
わたしは祖母の煮物が大嫌いだったのを今でも覚えている。真っ黒なのでにんじんと芋の区別もなかったような、、味については多分耐え難かったと思う。家事よりも読書を大切にしていた。 父は祖母のことが大嫌いだった。

質素でも暖かい家庭に憧れていたのかもしれない。そして母ときたらこれまた家庭的とは言いがたい人だったし、、脳腫瘍の手術をしてからかなりおかしくなっていた。 

過度のアルコールを父は飲んでいたのだが、じつはよほど家庭がつらかったのか? と、色々考えてみる、が父そのものがやはり変り者だったというのが一番の原因なのだろうが。

心が遠くなってしまってから、父の死を何度も考えていた。
多分悲しくもないだろうと、、

 
   今も、悲しみというよりは寂しさがまさる。
   今生ではもうあの父には逢えぬのだ。


父の子として産まれたことがなぜか不思議な気もする。

いごこちのいい いまの生活ーそんなことばかりじゃないけれど、少なくとも父の家にいた時よりはー 自分の家庭を持ったのは悪くない。
むしろ自分の家庭をもったほうが人として少しは成長できるのかもしれない。わたしの家庭観はとことん向き合うこと。 ちいさな社会である家庭を維持するには、こうるさい夫のようなものも必要だが、主婦のわたしはいつも家族のことを考えている。(少しウソっぽいが。)             

 それでも自分のことは一番たいせつ、、これに尽きてしまう。
 ああ、しあわせな日常




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