セピア色の思ひ出
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最近気付いたことがある。
それは、人それぞれの話すスピードによって、その人の人間関係はほぼ決められたものになるのではないか、ということ。
早口な人は、早口な人と親しくなり、 ゆっくり話す人も同様、ゆっくり話す人と親しくなる。 と私は思う。
私はどちらかというと、ゆっくり話す。 そして、私の周りの親しい友人知人を見渡すと、 彼らもまた、ゆっくり話す人たちだ。
私には早口な友人はあまりおらず、 そういえば私は早口な友人とはどうも話していても脂がのってこない。 というか、話がかみ合わない。
私の場合、早口な人の話に巻きこまれて自分のペースを失い、話が失速する。 相手もまた、私のペースにはついて来られない模様。むしろ、どんどん先に進んでしまう。
大学の教官で、とっても早口な方がおられる。 授業は分かりづらいという事はなく、たまにギャグも飛ばして生徒を笑わせる。 しかし、私は平静のままその授業は受けられない。 早口のリズムに順応できていない私は、授業に中々集中できず、チョッピリソワソワ。 けれど、その教官の授業が好きだ、と声を揃えて言う人々は、そう言えば早口な方々ばかりのような気がする。(shiho調べ)
以前の私は、チョッピリ八方美人的側面があって、 誰にでもいい顔しようとしていたし、愛想振り撒いてたし、 誰とでも、(無理矢理にでも)仲良くなろうとしてた。 早口な相手の前では、自分も早口な語り口調になりきろうといきがってた。 しかし、人生21年目にして、人間関係の限界を知った。
話の速度にしろ、声の大小にしろ、気質にしろ、 それらは皆、人それぞれであり、 互いに接していて居心地がいい相手は、気付くと限られたものになってくる。
人間関係で深く悩んだことはないけれど、 それでも、人間関係というものは、日々考えさせられるものである。
もっと、人間関係について考えを掘り下げ、 かつ、人間関係というものを円滑にしてゆきたいものです。
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