■ 腰痛日記 ■
ケイの10年にわたる痛みの治療体験を少しずつ書いていきます

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2004年09月08日(水) 抱えて生きる

昨日書いたエッセイ集のなかに
もういっこ腰痛のことが書かれていました


:::::::::『ここの天気図』:::::::::
― 抱えて生きる ―


半年ほど前、突然、腰痛がおそってきた。朝、ベッドの中で、腰部に異様な激痛を感じたのだ。上体をおこそうとするが、腰が痛くておきあがることができない。寝返りを打つことさえ苦痛なのである。

「またか」

と憂鬱になった。ずっと以前に腰痛では散々な目にあっている。四十代の半ば頃のことだった。夜も昼もなく机に向かって原稿ばかりを書いてた。足を使って歩くということが、ほとんどない暮らしだった。車で移動し、時には自分でハンドルをにぎって、東京・大阪間を一日で往復したりもした。そんな生活をなにか時代の先端を風を切って疾走しているかのように錯覚していたのだろう。

そんな時期に最初の腰痛があらわれたのだ。それはひどいものだった。朝、顔を洗うために洗面台にむかっても、腰を曲げることができない。もちろん、しゃがむこともまったく不可能である。そのくせ長い間すわっていることも苦痛なのだ。

タクシーなどに乗ると、目的地へ着いて自分でたちあがることさえできない。うしろから腰を押していると少し楽なので、いつもベルトの背後に文庫を一冊はさんで暮らしていた、

もちろん、あらゆる手をつくして腰痛退治につとめた。外科手術だけは避け、そのほかのすべての治療をためしてみる。だが、腰痛を親の敵のように憎んで敵意を燃やしても、どうも無駄らしい、と、やがて気づいた。そして歩くこと、体重をへらすこと、車の運転を控えることなどにつとめ、やがて腰痛はしだいにおさまっていった。

それから今回、再度の腰痛の訪れである。しかし私はそれほど不安でなかった。人はうまれながらに腰痛を抱えて共に生きるのだと、自分で覚悟していたからである。

そして今、二度目の腰痛はおだやかに私の体に奥へ戻っていこうとしている。


::::::::::::::::::::

執着を手放す、痛みを手放す
書くと簡単ですが・・・なかなかね^_^;

「手放す」ことができないとき
いっとき「抱える」時期も必要なのかも?




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