先週の土日広島へ行って来ました 片道4時間強掛かるのですが 久しぶりにゆっくり読書することができました
行きは古本屋で購入した 『誰か・・・』宮部みゆき 著 いっきに読んでしまった^_^;
帰りはダーリンのアパートに転がっていた 文庫本を何冊か拝借してきました
:::::::::『こころの天気図』:::::::: ― 膝を屈すること ―
喫茶店で雑談をしていた相手が、急に中腰になって、テーブルの端を両手でわしづかみにしたので驚いた。見ると顔が引きつっている。発作でもおこしたのかと気遣うまでもなく、ハックション!と大きなくしゃみをした。
ほっとした表情で座り直した彼の話を聞いて、ようやく納得がいく。以前ギックリ腰をやったことがあって、それ以後も油断すると厄介な事態になるのだそうだ。うっかりくしゃみをした瞬間、例の「魔女の一撃」とやらに襲われるケースが間々あるらしい。そこでくしゃみが出そうになると、急遽、近くの手すりや椅子の背などにつかまって中腰の姿勢をとるのだという。
満員電車のなかで、くしゃみが出そうになり、反射的に前の中年婦人の腰に両手でつかまって、おそろしい顔でにらまれたことがあったそうだ。そのときは不思議にくしゃみが途中でひっこんだというからおかしい。
ギックリ腰にかぎらず、近ごろ腰痛を訴える男たちが馬鹿に増えてきた。サラリーマンなどにことに多い。どうやら腰痛は平成の国民病となりそうな気配である。
これに処するには、発想の転換しかないというのが私の意見である。二足歩行をはじめたときから人間は腰痛を宿命づけられたいる。したがって人類はすべて腰痛持ちである。
そう考えれば、腰痛に完治はないという結論に達する。手術をしようが、牽引しようが、鍼灸にたよろうが、気功、カイロ療法を選ぼうが、腰痛を根本からとり去ることはできない。できることは一つ、腰痛を出さないように飼い慣らして生きることだけだろう。
そう納得したときから、二十年間悩まされた私の腰痛はおとなしくなった。 ヒントは「膝は曲げるためにある」という古人の言葉である。腰は折るが、曲げない。膝はできるだけ深く屈する。魔女の一撃も、日常の困難も、膝を屈してやり過ごすしかないのだ。
これも濁世に生きる知恵というべきか。
::::::::::::::::::::::::::::: 彼も腰痛持ちだったのね 「膝を屈する」とは 「屈服する」と言う意味もあります 腰痛に屈服したわけではないでしょうが 治療に対する拘りを捨て 良い意味で開き直ったときに 痛みは去っていったようですね(*^_^*)
|