今日ね、お隣の奥さんと ちょっと話をする機会がありました ケイしゃん 「今からお出かけ?」お隣さん 「うん、医者」「咳、まだ止まらないの? アレルギーのテストどうだった?」「全部異常なし 結局原因がわからないの」「咳はストレスが 大きくかかわっている事もあるって知ってる?」「聞いたことある それが原因かも知れないね まあ、仕事もできるしこんなもんよ」 「そうだね」玄関先での立ち話だったので こんな感じの軽い会話でした もう、一年近く続いている咳 奥さんのひどい咳は 私の部屋まで響いてくる事もあります この本を読み見返していて 今の私にピッタリくるところがあったので ちょっと書きますね :::::::::::::::
あれほどひどかった喘息が、なぜこんなに良くなったのかと、たびたび考えることがあります。正直言って、退院する時点では、私は「心身症」とは関係なく、カウンセリングのお陰で病気が治ったとは思っていませんでした。
絶食療法の効果としてホメオスターシス=恒常性を保とうとする自己治癒力が高まったことと、新薬が効いたからだと認識していました。ただ、入院がきっかけになって、それまで気付かなかった自分を知り、人生の軌道修正ができたことはラッキーだったと喜んでいたのです。
でも、喘息が完治することは稀で、今後も難治化させないように上手に病気と付きあっていきたましょうといわれ、私もそのつもりで退院したのです。それが、月日が経つうちに、発作がでなくなり、病気やクスリを忘れるほど喘息が遠のいてしまったのには、これは薬効だけではないと考えるようになりました。
なにしろ以前には、新薬の吸入剤以上の、もっときついステロイドの錠剤を服もうと、点滴をしようと、頻繁に発作を繰返していたのですから。
喘息を抱えながら、常にイライラと焦っていた私は、やはり心身症患者であったのかもしれません。絶食療法の中で、それまで自分の内部に閉じこめていた感情を外に出し、本当の自分について多くの気づきを得たこが元気にしてくれたのではないかと、今は素直に納得しています。
夏樹さんはもっと「ドラマスティックな症例」を期待されていたかもしれませんが、もし私の体験が文章になるのなら、二年前の私が週刊誌の記事で出会ったように、「心身症」など夢にも思っていない喘息患者さんが心療内科と出会い、そして病気が良くなってくれれば、こんなに嬉しいことはありません。
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ケイしゃんもTMSを知ってから 決して劇的な改善をしたわけではないですから(^-^;
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だが、およそ性格を変えるということほど、至難のことがあろうか。七年経った今では、痛切にそれを悟らされている。だからこそ、芥川龍之介も「悲劇は性格にあり」といったのだろう。
もしかしたら私はほとんど元の木阿弥になりつつあるのかもしれない。
しかしながら、一度は「気付いた」という事実に変わりはない。その気付きが、自分の内部で何か名伏しがたい働きをしてくれることを、はっきりと感じる時がある。やはり私はどこかで変わっているのだ。 心身症はつらくて長い旅だと思う。しかも不幸にして容易に治らない方もいる。
でも、ともかく通過したあとでは、思いもかけない自分と出会う。そしていつか、あれは幸せな経験だったと思える日がくる。どちらかといえば、あれは患ったほうがよかった病気だったのだと。
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