2004年02月04日(水) |
腰 痛 体 験 記 (7) |
私の治癒への道のキッカケを 作ってくれたまるちゃん 「メグ」と「めぐ」広場に掲載されている腰痛体験記を ここに載せてもいいと言ってくれたの(*^.^*) 彼女の壮絶な痛みとの戦いをごらんあれ! :::::::::::「今、この一瞬」を大切にしたい:::::::::::
(1)<知る前/痛かった頃>
24年前の20歳のころから背中が突っ張るようになって来ていましたが週に1回アスレチックジムに行って沢山のマシーンを使って汗を沢山かいたら回復していました。 その時は運動で身体を暖めて回転板の上で思い切りひねることが良いのかな?と思っていました。5年間ほど続きました。
結婚したあとは仕事で二つの都市を2週間ごとにいったり来たりしたので毎回段ボール箱にぎっしり入れた12キロほどの資料や道具を4箱、自分で宅配便の営業所に運んでいました。
日頃から片づけが苦手だったので、配偶者のために移動する度に毎回「年末大掃除」のような大規模な掃除を短時間でしなくてはなりませんでした。
最初は移動した後、過労で2日寝込むという程度だったのが、少しずつ日にちが延びるようになってきて10日間寝込まなければならなくなって・・ ついには移動しても何も出来なくなったので、しがみついてきた仕事場は引き上げました。しかしその後も5年間はほぼ寝たきりになってしまいました。
最初は慢性疲労症候群のような感じでただ、全身の強い倦怠感でした。 代替医療のさまざまな治療院にかかることと、色々な身体の変化を体験することは同時に起こりました。 強い、部分的痛みとなって感じられる様になって行きました。腰痛は一日中続くようになりました。 行く度に痛みの場所が移動していました。異常な冷えも加わりました。 治療師さんに痛みが移動することについて尋ねると、「身体は引っ張り合っているからそうやって移動しながら順番に治って行くものです」という説明をされました。
しかし、私の場合治って行く気配はありませんでした。 辛さは増す方向にあり、治療を受けた後2〜3日だけの間は何とか楽になるという有様でした。
20歳の時の交通事故で頭蓋底骨折の重症を負い、(オペはしないままでした)2回目の交通事故の時(このときも頭は打ちましたが2週間の激痛、というだけで骨は折れませんでした)
撮影されたレントゲン写真で、自分の頭蓋骨の昔の一回目の事故の痕跡である大きな黒い穴があいた画像を見ていた私は「今の腰痛の原因は10年以上前の頭の骨の骨折から来る」という医療関係者からの説明を受け入れるしかありませんでした。 仙骨骨盤調整院ではそのことから背骨が曲がって来てしまっていることを指摘されました。
主に左半身全体にしびれやだるいような鈍痛、足の付け根や大腿部の強い痛み、骨盤の奥の締めつける様な痛み。背中痛。 痛みと感じられる程の強い肩こり、見た目は背中が張ってカチカチに盛り上がっていて、大腿部も堅く盛り上がっていました。
酷い化学物質過敏症で顔が腫れ上がることもあり、花粉症は通年性で酷い時は全身の寒気で床を匍匐前進で移動するしか出来ない程でした。
外出先は・・・途中で喫茶店で30分の休憩をし、なんとかたどり着くという形で行く「接骨院」、 長いすに横になりながら順番を待つ「整形外科」の2カ所だけでした。 仕事も失って友人とはまったく接触せず、歩く速度は90歳の老人の様でした。
3日に一度、車で2分くらいの場所のスーパーに買い物に行く夕方4時頃と、簡単な食事を作るときだけは立っていられました。 掃除の行き届かない部屋で一日中布団の上に横になって、気持ちは虚ろでべたべたの涙がだらだら流れる状態を、ただ受け入れている。という日もありました。
ここまで酷くなると思考停止のような状態だったようにも思いますが寝込み始めた発端から続いていた仕事が出来ないでいる自分への「自己否定」の感情とは向き合わない様にしていた、と回想できます。
TMS理論を知って(2)<痛くなくなっただけでなく>
治そうとしてしたこと、かかったお医者さんや施設、対策は沢山でした。 整形外科、神経内科、神経精神科、鍼灸師、仙腸関節調整師、接骨院、カイロプラクター、プロ・スポーツ(野球選手、相撲取り)関係専門の接骨院、カラー治療、オステオパス、中医学、あんま、マッサージ、外気功、内気功、波動水、琵琶の葉こんにゃく療法、紫イペ茶、ひまし油シップ、丹田にお灸、ソーマダイン、極超短波療法、ツムラの漢方薬、ヘルストロン、バラコンバンド、ハーバライフ、サンライダーなどのアメリカのハーブ錠剤、等などの御世話になりました。
どの方法も大体最初は効果がありましたが効いていたのは6ヶ月、効かなくなってくるのが7ヶ月目、しがみついて大体8ヶ月めには次の療法を見つけていました。
そのうち骨盤調整院と終日バラコンバンドをまいているのは2年続けました。中国医学と鍼とオステオパシーを組み合わせた接骨医さんには1年半かかりました。 治療のやり方が違っていたため最後には接骨医の先生は3人に同時にかかることになっていました。 かけた金額は500万円を超えていました。
2000年の最後の月始め、手技関連のMLでTMS理論を紹介されている長谷川先生の投稿を読んでサイトに行ってみてコンテンツをプリントアウトしながら読んでいたらすこし良くなっていました。 そのあと私はTMS理論紹介の掲示板でずっと会話していました。
でも、ただメグという名前で参加して遊んでいるだけでした。自己愛が強い私が開放的に発散しているのを受け入れてもらえる体験は孤独でねじ曲がって開かなくなっていた心の扉に隙間が出来、光が差すようでした。 メール相談を20通させて頂きました。私の場合はストレスリストは4日間だけでした。でも書いていると涙がでたり顔が赤くなったり、気持ちと身体は同じなのを味わっていました。 TMS理論紹介の本『腰痛は<怒り>である』は3回半読みました。心を扱っているはずなのに、情緒からは離れ科学的で明晰でまさしく「理論」という印象の本でした。
プログラムに出会って7週間で完全に治りました。私の場合相談のメールの中で、言い訳を続けている自分にはっと我に返り、突然そんな自分が「愛しい」と思えた事がきっかけになりました。 治ってから2回、3日〜4日左の大腿部がほんの少し痛い日を経験していますが2年経った今も、そのまま、全くの健康体です。もう大丈夫という自信の中に居ます。
痛いところもしびれているところも冷たいところもなく、化学物質過敏症は収まりました。花粉症は、2年後の今年から反応しなくなりました。
最近のTV・雑誌でも医学情報の論調が変わって来ているようですが、私は掲示板におじゃましていたおかげで他の人が治っていく様子も眺めることが出来、心と身体はひとつのもの、というところに最初に注目したニューヨーク大学のサーノ博士の理論が広まっていきつつある場面に立ち会えました。
ひとりひとり、違うルートで登ることになりますが「痛みを手放す」という山頂を目指しているのはひとりでは無く「痛い」人は全て、同行している仲間にも思えます。
複雑に思っていた人間という生物が、実はとてもシンプルだった、という事を知って喜びを感じます。
心と身体のつながりの不思議を実感するとともに「今、この一瞬」を大切にしたいと思うようになりました。
ときに身体にする治療はとても素晴らしい癒しになります。でもそのことだけにすがるのを止めてみても良い頃かもしれません。
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