2004年02月03日(火) |
腰 痛 体 験 記 (6) |
妹のような存在のバド美ちゃん 実は私の娘と同じ名前なのです(字も) あ、バド美じゃないですよ(^-^; 掲示板で出会い メールでお話を何回かして そして(~0_0~)先生の医院で 実際にお会いしたのでした これと思ったらなんでも試してみる 好奇心旺盛な妹の体験記 読んでやってくださいましm(_ _)m ::::::私が痛みから学んだ事::::::
<プロローグ>
2002年1月。会社勤めを6年ぶりに再開。三人の子持ちでも復帰できた喜び。やる気に充ち溢れて、新しい年を迎えた。
二人目まではフリーで続けていた仕事も、自宅では深夜に仕上げる事になるし、急に依頼が来たり、また不況で量的に減ったりと、不安定だった。
40歳を迎える前にもう一度、きちんとステップアップしておきたいという気負いと、近所に実家や妹が居り、助っ人に恵まれ、週二回位の出勤なら二才の末っ子はなんとか預かってもらえるだろう、という計算だった。
そして、何より、育児だけの生活からも、少しの時間でも解放されて、リフレッシュするチャンス。その上、待遇が良いならやるしかない!
最初は週に三回。上の二人の幼稚園のお迎えに間に合う時間帯。しかし、やり出すと、のめり込む完全主義の性格。育児のリフレッシュどころではなくなってきた。
両親が共働きで、自分は、絶対専業主婦になろうと思っていたのに、仕事にのめり込む自分にジレンマを感じ出す。
肩こりから、始まり、背中のこわばり、そして左の腰痛が・・・。
このとき、私のストレスのグラスは溢れ出した。
<腰痛から鬱状態そして、とうとう、治癒の道へ>
5月 出張とMRI撮影。ヘルニアの診断。映像の力と18年前にも慢性腰痛の経験から、ヘルニアになったらおしまいだ!という、呪いがまたもや、慢性腰痛への道へじわじわ引き込む。
6月 雨が降るたびに、天候で、痛みが酷くなると呪いがかかる。
7月 とうとう、長時間立つ事と、歩く事が困難になり治療に専念するため、休職。鍼治療、ヨガ、カイロなど代替治療を、はじめるが結局、18年前に治った経験がある入院に頼る。子どもの夏休みを待ち、入院。安静→注射→リハビリで、効果が上がらないため、神経根ブロック注射→造影検査→手術へと勧められるが、これ以上痛い思いはしたくないので退院。通院でしばらくリハビリを続ける。
退院後、父と大喧嘩して、変な姿勢で長時間、話したので「ああ、また、痛くなる」という、心配とは裏腹に、次の日なぜか、腰が軽くなった???どうしてだろう?
8月 日常生活のうち、立ち仕事以外は、なんとか、苦痛を感じずに出来るようになった。もう、一押し、完治への道を求めて、本で見つけた。整体を受ける。無理矢理前屈して、骨の間を空け、そこへ、ヘルニアを戻すという作業??前屈が出産より痛く!辛かった私は、痛みの恐怖のため、次の日から立てなくなる。
悪夢の日々が始まった。いっそ、ここから飛び降りた方が楽なんじゃないか。私は、一生このまま、ベッドで寝たきりの生活。子ども達と一緒に、遊ぶ事も出来ないどころか、食事も満足に作ってあげられない。そして、自分の子どもも抱き上げる事が出来ない。なんて、価値のない人間なんだろう。
頭の中は、負のアファーメーションで、ぎっしり。どんどん、鬱へと落ちていく。しかし、子ども三人と主人をおいて、このままくたばる訳にはいかない。何か治る方法があるはず。18年前の痛みと同じなんだから。
9月 なんとか、このどん底の生活から、元の平和な生活へ戻りたい。インターネットで、腰痛の広場へたどり着く。 やっぱり、手術しかないのか・・・ 歯の噛み合わせを治す・・・ 友人が一度で治ったというカイロの先生・・・
選択肢がいくつか上がった中に、ん? TMSって何? 腰痛は怒りであるって? なんだか、うさんくさい?
9月の終り、赤本も読まないまま、TMSのホームページに行き着いた私は、ちょうど10月に開催されるメソッドに最後の望みをかけて、申し込みの送信をした。しかし、心から信じていなかったし、なんだか、会場で治療グッズを買わされるのでは??という、不安から主人を、護身につけての参加となった。
ここから、完治まで結局、一年近くかかるのであるがメソッドを受けた事により、勝利の女神が私に微笑んだ。
白本→メソッド→赤本→掲示板で疑問を解決→メソッドのツールを気長に実行→リンク先の先生に受診(加茂先生・空先生・淀川クリニック)していただく→動作恐怖症を脱するため、アファーメーションを次々に達成する→不安に隠れる怒りに気づく。
☆私に特に効果のあったツール☆
アファーメーション ストレス(不安)リスト EFTタッピング
毎朝のあの、鈍痛。寝室からダイニングまでの廊下が長く感じ、朝の目覚めが怖かった日々。夜中に痛みで目が覚める不安と恐怖。
いたたたっという声と共に、起き上がり、ダイニングの椅子で30分休み、顔と、身体を歪めて、朝食の準備と、お弁当を作る私は、今や、スキー、バドミントン、水泳、もちろん、子どもとかけっこや、抱っこにおんぶ、運動会には綱引きに参加できる元気なお母さんに戻れたのである!!
もちろん、途中、私にはTMS理論は効かないんだ。私は特別なんだと、悲観したり、後退した日々もあった。そんな時、長谷川先生、AGI様、ケイしゃんはじめ掲示板のイタ友の皆々様や、加茂先生、空先生、淀川クリニックのスタッフの方々に助けていただきながら、痛みのメカニズムを理解し、痛い時は、薬に頼り、悪循環の輪を断ち切り、自分の心と向き合うことを覚えた。
「治すのは自分。しかし、完治を意識しない。痛くても出来る事は沢山ある。痛いと悲観するより痛くてもできた、喜びにスポットをあてよう。痛いと泣く一日も、痛くても行動する一日も同じ時間なら、行動しよう!何事も完璧を求めない。少々の身体の不調は、誰にでもある当然のこと。長い人生、焦らず、いつか、出来る事がたくさん増え、あれ?そういえば、痛くないよって言う日が来るんだ!!」と、言い聞かせていたら、本当に来た!
毎朝、無痛で起きる幸せ。鏡の中の、まっすぐに立っている自分。五体満足が当然のことに思っていた傲慢さが、感謝の気持ちに変わり、毎日を大切に生きていける。こんな気持ちになれたのは、あの忌まわしい痛みに出会えたからこその副産物なのである。
痛みにばかり敏感になり、目先の事ばかりに気を取られていた、気弱で暗い私はもういない。この先の人生、また、沢山の壁にぶつかっても必ず、明るい未来が来る事を教えて頂けたと思っている。 普段の何気ない出来事や行動も、痛い時を思い出せば、なんだか、きらきら光った特別な事に思える。
まだまだ、書ききれないことがたくさんあるが、身体の不調のほとんどは、自分が作り出していて、またその自分は、それらのほとんどを治す力も持っていると強く確信できる。この痛みから学んだ事は、私の人生において、これからも、大きな手助けとなってくれるであろう。
今まで、関わって下さった皆様に感謝! そして、腰痛よ、ありがとう!
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