2004年02月01日(日) |
腰 痛 体 験 記 (4) |
掲示板のヒマワリさんのような白雪姫
そんな姫にも 辛〜く痛〜い過去があったのだった
さぁ、物語のはじまりはじまり〜
::::::『今痛い皆様へ』::::::
今思うとこれがはじめてのTMSだなあというのは、23歳のときです。 朝起きたら、首があがりませんでした。何とか起きて首をそろそろと上げると、右肩甲骨の辺りに激痛が走りました。まるで胸を患っているような嫌な痛みです。
痛くて後ろを振り向くことが出来ません。レントゲンをとって、坐骨神経痛と診断され、数週間 温熱治療に通いました。その一年後くらいにまた同じ症状になり、ペインクリニックで痛み止めを処方してもらったらすぐ治りました。
座りっぱなしの仕事だからだと思っていました。
ほどなく結婚して、第一子妊娠中は切迫流産、早産で、2ヶ月ほど入院生活を送りました。第一子が1歳半のとき、23歳の時に起きたあの右肩甲骨の痛みが再び私を襲いました。
またしても坐骨神経痛、このせいで痛み止めを服用することになり、断乳の憂き目となりました。
でも、数週間で治りました。おんぶのしすぎ、だっこのしすぎと単純に考えていました。
そして第二子が5ヶ月のとき、朝起きたら(いつも朝起きると突然なのです)右足が上がりませんでした。特に運動した覚えはありません。起きたら突然、なのです。
何とか立ち上がるも足があがりません。足をひきずって子供をおんぶして歩きました。整形に行くと、おんぶのし過ぎといわれました。痛み止めの注射(腕にしました)で半分くらいの痛みになり、1ヶ月ほど温熱治療に通い、それでもすっきりしないので、初めてカイロに通いました。
カイロでは、骨盤が開いているせいと言われました。3ヶ月ほど一週間おきに通い、ほとんど気にならなくなったので通うのをやめました。もう無理な姿勢をとるのはやめようと心に誓いました。
そして運命の痛みです。腰が痛いなあ、腰が痛いなあと思っていたら(今度は突然ではなかったのです)だんだん、お尻と足の付け根が痛くなり、だるくて激痛ではないのに、じくじくと病むような嫌な痛みが出現しました。
じーーじーーーじーーーっと音がするような痛みです。 整形に行くと、やはり抱っこのしすぎと言われました。今度は、痛み止めの注射は無く、内服薬とシップと温熱治療でした。一ヶ月通いましたが、全く痛みは軽くならずひどくなる一方でした。コレは、変だと思い、以前すごく良く効く薬をくれたペインクリニックを思い出し行きました。
これぞ、運命でした。この医師は子供を連れた患者が嫌いだったのでしょうか。2歳なのでうろうろとうるさかったのでしょう。終始冷たい態度でこちらを見ようともせず(もうすでに痛みで半べそなのにダブルショックでした)あげく、ここがこう痛いんですという私の説明だけで「ヘルニアだからもう一生治らないね」と言うのです。
ヘルニアなら痺れが出るはずだ、と半端な知識から思いました。そうしたら、本当に、足先がびりびりとしびれたのです。「治療はブロックしかないけど、する?」と言われて「はい・・・お願いします」と言うしかありませんでした。(もうこのあたりで涙が出そうでした)
子供を狭いベットの脇に立たせ痛いばかりで全く効果の無いブロックを打ちました。帰宅後、ものすごい頭痛に襲われましたが、でもこれでしばらくは痛みから開放されるんだ!と思い我慢しました。しかし、痛いだけで全然効きませんでした。
このブロックは2回しました。2回とも頭痛がひどいだけで、全く効きませんでした。一ヶ月も整形に通って少しもよくならないので、嫌な予感はしていたけれど、ヘルニア?あの不治の病(そう思っていました)のヘルニア?手術しかないヘルニア???!!目の前真っ暗とはこのことです。旦那に迷惑を掛ける・・・一番先にそう思いました。
実はこの一昨年前に、ストレスから感音性の難聴になり、ずいぶん心配を掛けているからです。
2回のブロックで全く症状が変わらないので、MRIを撮りました。結果は椎間板の硬化でした。「ほら、真っ黒、ぺしゃんこにつぶれいてる、治らないよ」これが、ペインクリニックの医師のことばです。しかし、この医師にすがるしかなかったのです。痛みで消耗しておどおどしたような態度だから余計付け込まれたのだろうなあと今は思います。
このころはじめてインターネットを始めた私は、腰痛で検索しまくりました。そこで見つけた、N式のストレッチ。掲示板で色々な方が相談していました。そのころ、掲示板で非難されている内容の治療法がありました。それが 「TMS理論」です。
初めての印象は、怪しい、なんじゃこりゃ、です。ストレッチの本を買い、一生懸命やりました。一ヶ月ほどストレッチをやったでしょうか。でもちっともよくなりません。体は柔らかくなりましたが。
心の片隅には、TMS理論が引っかかっていました。腰痛の広場も行きました。またしてもTMS理論が、こきおろされていました。そのときの私は「藁にもすがる」の心境になっていたのです。
もう嫌でした。毎日毎日、痛くて寝てても痛くて、寝ている子供を抱きしめて毎夜泣いていました。抱っこも出来ない。寝ても覚めても痛くて、安らげる時間がなかったのです。
TMS理論て、なんなんだろう・・・あんなにひどいこと言われてるのに、回答してる人がすごく謙虚で穏やかで、いい人みたい・・・非難してるほうが悪者みたい・・・だんだんそう思ってきたのです。
初めてTMS理論を知って2ヶ月がたっていました。ついに、TMS JAPANのHPを見ることになりました。掲示板をのぞくと、なにやらやっぱり普通の腰痛の治療とは違っていて、凝り固まった私には変な感じがします。
リンクを見たら、小松市に整形外科の先生がいらっしゃる!早速、自分の症状は、TMS理論適用なのかどうか、失礼ながらメールをしました。すると驚くべきことに、すぐに返事をいただき、プログラムを始めてみるよう勧めていただきました。
それと前後して、娘の股関節の件で長谷川先生にメールしていました。もともとネットをはじめた理由は娘の足のことだったのです。とても人情味あふれるお返事をいただき、信頼できる方だな、と直感しました。色々なピースがうまくはまって私をTMS理論へと導いてくれたとしか思えません。
赤本を買い、(「椅子が怖い」をその前に読んでいましたので、べースは出来ていたのだと思います)読み終わったら・・・不思議なことに、痛みが半分に減っていました。なにをやっても少しも減らなかった痛みが、です。
それでも、ストレスリストを書く、、、、毎日、書く、ということに大変抵抗があり、書かずに済ます方法が無いものか意を決して掲示板で相談しました。「一週間だけとりあえずやってみるってのは駄目でしょうか」こんな風な投稿だったと記憶しています(笑)
その頃のケイしゃんはじめスペシャルメンバーの方々が次々応援のレスをくれて、私は初めて、パソコンの画面を見て泣いてしまうというのを経験したのです。
見ず知らずの私のために・・・胸が熱くなりました。ペインクリニックで電気鍼治療もしていましたがそれもきれいさっぱりやめました。自宅で、せんねん灸をしつつTMSプログラムに真剣に取り組むことに決めました。自分で治すんだ!と固く決意しました。(せんねん灸もすぐいらなくなりましたが・・・)
毎日毎日、ストレスリストを書きました。書いて書いて、思い出して泣いて泣いて、吐き出すたびに腰が軽くなっていくのを実感しました。私ってこんなこと うらんでたんだ、怒ってたんだ、かわいそうだったね、頑張ったね、と初めて自分に言ってあげたんです。
リスト登場の順番は、旦那、子供、両親、妹、でした。ペインクリニックの医師も数十回登場しましたね〜。ちくいち掲示板で報告もしました。なにより、掲示板で皆さんと話しているのがとても楽しくて、慣れてくるとだんだんお馬鹿な話にも混ざれるようになり、私の後から来た人(半ケツ人とか)に自分の経験を話したりしているうちに5ヶ月もたった頃でしょうか。
痛みが消えていました。ほんとうに、きづいたら・・・です。
ストレスリストだけのときは、あまり痛みに変化は無かったように感じます。アファーメーション(当時は毎日の注意)を唱えるようになって、リアルに自分の治っている姿を思い描くようになってから、ぐんぐん痛みが減っていったように思います。そのあいだも、「赤」「白」ともに、何度も読み返しました。
でも私の一番の薬は、掲示板でした。あんまり楽しいから痛くてもいいや〜って思っていました。過去ログを全部読んだのも、大きな効果でした。毎日少しづつ3ヶ月くらいかかったかな〜〜
痛いお陰で得たものの方が多かった。これが実感です。あれから、今夏でまる3年になります。
― 今痛い皆様へ ―
一人で戦うのはやめて 掲示板で話しましょう!
他愛ない話でもいいんです 今日はいい天気だよ だっていいの(*^.^*)
つながっている ひとりじゃない 応援してくれる人がいる
そう思うだけで元気になれますよ
私はそういうキャラじゃないから・・・ って自分を縛っているのは自分だから
力を抜いて はじめまして!って 来てくれれば それが、痛みから抜け出す第一歩です
長々とまとまりなくてごめんなさい::::::::::::::::::::: ということで 一切の修正なし モザイクなしでお送りしました(^-^;
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