■ 腰痛日記 ■
ケイの10年にわたる痛みの治療体験を少しずつ書いていきます

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2003年12月25日(木) 自分だけのものとは、心ではなく身体である


:::::::::『まともな人』::::::::
養老猛司 著


脳のはたらき
すなわち人々がふつうに
「心」と呼ぶもの

これは個人的の共通性がない限り
そもそも他人に理解できない

ゆえにまったく個人的な心
というものがあったとしても

それは社会的意味をもたない
ふつうそこに誤解がないか

多くの人は心を自分独自のもの
と思うらしいのに

そのくせ同時に
他人の共感を求める
らしいからである

心とはつねに共感を要求する

はっきり規定すれば
万人に共通のもの
それが心である


― 中略 ―


自分だけのものとは
心ではなく
じつは身体である

これはことごとくオリジナルである
遺伝子の組み合わせが
クローンを別にすれば
かならず違うからである

将来にわたって
自分とまったく同じ
遺伝子の組み合わせが
偶然に生じる可能性は
まずないであろう

― 中略 ―

個性とは身体だが
一般的にはそう思われていない

この話題がなぜ重要化というと
若者を教育するときに

なにを前提にするか
という問題があるからである

若い人には、個性は
心や思考だと教えるのは
可哀想である

若者の頭に中は
それほどものが
詰まっている訳ではない

そこで個性を発揮しようとすると
妙なことを無理にすることになる

確かに数学が理科系な分野では
若い人が大きな業績を
あげることがある

それは考えることができる
能力があるからであって

それなら長嶋監督だって
貴乃花だって
オリジナリティーを
主張する権利がある

なぜなら運動選手もまた
脳の能力によって選手に
なっているからである

卒中になれば
運動はできない





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