2003年12月25日(木) |
自分だけのものとは、心ではなく身体である |
:::::::::『まともな人』:::::::: 養老猛司 著
脳のはたらき すなわち人々がふつうに 「心」と呼ぶもの
これは個人的の共通性がない限り そもそも他人に理解できない
ゆえにまったく個人的な心 というものがあったとしても
それは社会的意味をもたない ふつうそこに誤解がないか
多くの人は心を自分独自のもの と思うらしいのに
そのくせ同時に 他人の共感を求める らしいからである
心とはつねに共感を要求する
はっきり規定すれば 万人に共通のもの それが心である
― 中略 ―
自分だけのものとは 心ではなく じつは身体である
これはことごとくオリジナルである 遺伝子の組み合わせが クローンを別にすれば かならず違うからである
将来にわたって 自分とまったく同じ 遺伝子の組み合わせが 偶然に生じる可能性は まずないであろう
― 中略 ―
個性とは身体だが 一般的にはそう思われていない
この話題がなぜ重要化というと 若者を教育するときに
なにを前提にするか という問題があるからである
若い人には、個性は 心や思考だと教えるのは 可哀想である
若者の頭に中は それほどものが 詰まっている訳ではない
そこで個性を発揮しようとすると 妙なことを無理にすることになる
確かに数学が理科系な分野では 若い人が大きな業績を あげることがある
それは考えることができる 能力があるからであって
それなら長嶋監督だって 貴乃花だって オリジナリティーを 主張する権利がある
なぜなら運動選手もまた 脳の能力によって選手に なっているからである
卒中になれば 運動はできない
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