今日久しぶりに オレンジ色の華やかな表紙の本を 開いてみました
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カルメンの修道女では情熱を強調しているし それとは対照的に仏教では とらわれのない心を強調している
わたしはそれについて考えていた
これは この二つの宗教が繰り返し 議論を戦わせてきた論点 つまり有神論か無神論かという議論より わたしにとってずっと重要なことに思えた
そのとき、ふとひらめいたことがあった
通常わたしたちが使っている意味では、 情熱」という言葉のなかには 何かあるいは誰かを求め それを失うことを恐れる 所有欲からなる執着という意味 がこめられている
それではもし こうしたものすべてのない情熱 つまり執着のない 澄んだ純粋な情熱があるとしたらどうだろう? それはどのようなもので なにを意味するのだろうか?
わたしは瞑想しているとき のことを思い出したのだ
そのとたん 頭の中で二つの言葉が対になり 一つの言葉としてまとまった
情熱的な無執着だ
生活のあらゆる側面でも 霊性とのつながりにおいても 完全に情熱的であること
それは自分という存在を 執着の対象にしたり しがみついたりすることなく 深く愛することだ
わたしにとってこの言葉は そんな意味をもっている
情熱的な無執着
実に完璧でいて、挑戦的な言葉だ
名前を変えたときからずっと 何年にもわたって わたしが取り組んできたことの 核心にこの言葉があるように感じる
わたしにとっては深い意味をもつ まさにぴったりの言葉だ
わたしの人生は まず情熱を学ぶことから始まったみたいだ
そしてガンになってからは無執着を学び 今、この二つを統合することを学んでいる
これはきっと とっても大切なことに違いない!
この言葉は ゆっくりとではあるけど 徐々にわたしの生活全体に浸透していくだろう
まだまだ学ぶべきことがあるのだ!
道は遠いとはいえ この「ゴールのない旅」の道筋を ようやく明確にみることができるようになった気がする
まず当面の課題として 結果に執着することなく 生活にたいして情熱的に働きかけることだ
情熱的な無執着、情熱的な無執着
なんて適切な言葉かしら!
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結果に執着することなく 生活に対して情熱的に働きかける
なんてスゴイことを考える人なんでしょう!
簡単に出来ることではないけど 今の私にとっても 大切な言葉のような気がします
前の日記に書いた「簡単で複雑」や この本に書かれている「情熱的な無執着」のように 一見相反する言葉や事柄は 案外どこかで融合しているものなのかもしれませんね
「強くて弱い」 「せっかちでのんき」 「神経質で大胆」 「幸せで不安」
ちょっと違うか(^-^)ゞ
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