怒りは人生をだいなしにする恐ろしい野獣ではない。ただの感情である。 過剰に分析したり、根拠を問いただしたり、正当化したりしてもろくなことにはならない。 それはその感情を感じるかどうかを詮索しているようなものだ。
怒りはただの感情にすぎず、経験されるべきものであって、判断されるべきものではない。 ほかの感情とおなじく、怒りもコミュニケーションの一形態であり、わたしたちにメッセージをもたらしてくれる。
残念ながら、多くの人はそのメッセージに耳をかたむけようとしない。 怒りをどう感じたらいいのかがわからないのだ。 怒っている人に「いま、なにを感じているとおもいますか?」とたずねたら、その人は答えに詰まるだろう。
感情的な問題に知的な答えをしなければならないからだ。 怒りははらわたから、分析的な答えは頭脳からくるものである。
怒りにたいしては、文字どおり腹部でつきあわなければならない。 そのこつを身につけるには、目をとじて、片手を胃のあたりに当てるといい。 脳ではなくからだを使うという簡単な動作が。そのとき感じていることを知るのに役立つ。
自分の感情とつきあうという習慣は、現代社会ではほとんど知られていない。 現代人はからだで感じるということを忘れている。 わたしたちは理性と感情を分けようとする。
理性に支配されることになれすぎているので、感情やからだのことは忘れてしまうのだ。 ”I feel”(わたしはこう感じる)ではなく”I think”(わたしはこう考える)ではじまることばを、自分がどれだけ頻繁に使っているかをおもいだしてみればいい。
『ライフ・レッスン』(怒りのレッスン)より
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そういえば英会話のできないケイしゃんでも「I think・・・」ってよく耳にするような・・・ 日本語でいうと「・・・・・って思わない。」って感じかしら?
「怒りははらわたから・・・」、、、怒りの表現って英語でも似たところがあるのかな? 日本語では「腹が立つ」とか「はらわたが煮えくり返る」「腹に据えかねる」なんていうからねぇ。
そういえば、前に読んだ本には「ストレス(怒り)から腸捻転になった、、、文字通りはらわたが煮えくり返ったのでしょうね。」
エビン(男桜ともいう)がいう弾丸って腹に詰まってたのね(←。←) ・抑圧されたストレス → 弾丸 ・構造異常&筋肉の疲労 → 引き鉄
「弾丸=呪い や ストレス」は、暴発を狙ってるんですよ。 「引き金」を取っ払っても、弾丸は暴発しまっす。
うんうん、そのとおり!
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