一昨日書いたコラムの続き・・・
*********************** では「約束を破る」「嘘をつく」はどうでしょう。やはり、かなり不健康な心に思えます。
でも、嘘をつかない人がいるでしょうか。社会的に立派と言われる人々は、常に約束(この場合には社会の約束としての法律ですが)を破ったり、嘘をついたりしたのがばれて、失脚していきます。
いわゆる社会人で嘘をつかない人を私はみたことがありません。あえて言うなら、精神科の患者さんの中には「嘘をつかない人」がいます。「嘘をつけない人」というのが正しいのかも知れませんが、そんな人々の心はきらきらと輝いて見えます。
しかし、一般論で言えば、どうやら人間は嘘をつかずには生きていけない動物のようです。「私は嘘をつきません」と言い張る心より、「私は嘘をつくことがあります」と素直に認める心の方が、私には、とても健康に思えます。 ***************************
ここを読んで私は以前おおざるさん(HPリンク参照)に言われた言葉を思い出しました。 私はストレスリスト(TMSプログラムの一つ)を書いているとどうしても自分を責めてしまうのです。 そんな時「無理に書かなくていいですよ!」そして「自分を責めるなと言っても、そうしてしまうのなら、その責めてしまう自分を認めてあげてくださいね。」といわれました。 自分を責める、そんな自分を認めてあげる?最初はよく理解出来なかったのですが、無理に頑張らなくても良い、あるがままの自分でいれば良いんだって思えました。
弱い自分を認めるってことですよね。 簡単なようで、弱さを認めるってことは怖かったです。 これによく似たことが先日紹介した本にも書いてありました。
************************ 「あんたかてアホやし、わてかてアホや」という考えを、私は勝手に「性アホ説」と呼んでいる。人はもともと悪人として生まれてついているという「性悪説」、人はもともと善人として生まれるいているという「性善説」ならぬ、人はもともとアホとして生まれるいているのだという「性アホ説」だ。 ・・・・・・・・・・・・・・・
この意味では、「性アホ説」には人が強くなるための考えが含まれているように思う。「自分はどうせアホだからな」という考えは、自分の弱さを認めることに共通する。「自分をアホだ」と思っていれば、格好よくしようなどと思わなくなる。見栄を張ることがなくなるから、たとえば仕事ができないときには「できない」といえる。相手が何をいっているのか理解できないときも、無理せず「アホやからわからん」と相手にいえる。人から自分の欠点を指摘されたようなときも、「アホだからしかたないよ」といい意味であきらめられるし、素直に認めることができるのだ。
逆に、人に失敗に対して優しくなれる。たとえば、他人のメールを盗み見するような人がいる。よほど人の情報が気になるのだろう。こういう人に対して、「まあ人間はアホだからなあ。たまには悪いこともする」と思ってあげれば、許す気持ちもわいてくるというものだ。他人への寛容さの根本にも「性アホ説」は有効だ。
自分の弱さを認められる人も、同じような行動を取れるだろう。「自分は強いんだ」という肩肘を張るよりも何倍も楽な生き方だと思う。 *****************************
「性アホ説」気にいっちゃた(*^.^*)
あ、そうだ! もう一つ大切にしている言葉があったんだ!
今日の空はどんなだったっけ?おおざるさーーん、空みてる!
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