2010年01月05日(火) |
僕の後ろには悲しみが小さくなっていく |
カスケードのセットリスト、一曲間違えてたのに気付きました。カガミじゃなくてla narracio[']n grandeだったよ。。。直しておきました。タイトル勘違いしてた。てか、この曲未だにタイトルが読めない(笑)。大好きなんだけど。 (ごめんなさい、実はタイトルや人名を覚えるのって苦手で、覚えずに勝手な名前で呼んでたりもするんですわ。。。特に、日本語じゃなかったりするとさっぱり)
年賀状と大掃除と模様替えで正月休みが終わりました。模様替えはまだ終わっていないです。 年始にひいた風邪もずっと引きずってまして、今日もゲホゲホいいながらマスクして出勤しました。しかも会社最寄駅の階段で見事に転んでしまい、ものすごい久々に捻挫しました。我慢して仕事してきたけど、右足がめっさ腫れてますよ。。。風呂入ったら湿布しとこう。。。年始から、なんだかなーです。 しかし今年の年賀状は30分で作った、手抜きもいいところな内容です。ごめん皆。しかもツレは仕事用にも「これでええか」と同じデザインを使ってるんですが。 ここ読まれてる皆様、あんまり年賀状は出さないかもしれないですが、我が家はけっこう出すし来ます。100枚以上。ツレはフリーで仕事してるから出さないと駄目、てのもありますが、私も学生時代からけっこうマメに出す方だったので、私個人だけでまだ30枚以上来ます。大学で地元を離れてから転々としてきたうえ、このご時世で、これだけ貰えるのは有り難いなーと思っております。
閑話休題。 年末プラさんを見て、ちょっと、自分なりに「ああこういうことか」というか「私はこう聴いていけるな」と思った件についてまとめてみたいと思います。 年末の渋公は、2日間とも、ちょーっと唄の人がしんどかった(すまん)ことに眼を瞑れば、現メンバーで最高くらいの演奏だったと思います。私が今まで「…」と思ってしまったのは、とにかくバラけてしまってる演奏にハラハラした、てことも大きいので、このレベルまでまとまってきたバンドを見て、やっとひとつ安心できました。 その上で、曲たちの変化について自分の感じたことをまとめてみたら、とても単純な答えが出ました。違和感があったのは、「ぶっち曲」で「初めて(もしくは2度目)ケンケンバージョンで聴いた曲」が大半だ、ということが分かったんです。それはつまり、まだ「慣れない」ということで、ケンケンも聴く側も慣れてないから「おおこうなるのか」「えっこうなるの?」て感じで、違和感があるのは当然なんですよね。
そしてそれは、7年前と同じなんです。たかちゃんからぶっちに変わった時に、私は同じことを思って、そして喜んだり悲しんだりしながら受け入れていったんです。
それに気付いて、メランコリック、ヘイト、etc、、、という「ケンケンになってからも最近よくやってきた曲」は随分と慣れて「こう変わったんだ」という風に楽しく聴けていた自分に、すごく納得がいきました。 逆にすごく古い曲、空白の日、プラネタリウム、プラットホーム、そしてリセットなんかは、たかちゃん→ぶっちの時点で一旦ぶっ壊されたのを経験してるので、更にケンケンに変わってもそこまでの違和感を感じず、楽しく聴くことができました。
だから、7年前のあの時から、ゆっくり何年もかけて私がぶっちに慣れ、ぶっちもプラに馴染んでいったように、今度もゆっくりケンケンに慣れていければいいんだ、と、ちゃんとそう思えました。慣れなきゃ、じゃなくて、慣れていけばいいや、と、ちゃんと思えました。
もちろん好みはあるし、自分の中で譲れない部分もあって、この曲は合ってる、とか、この曲はそのドラムじゃ…とか、そういうのはあります。 でもそれは、お互いに仕方のないことで。そして悲しいかな、人は慣れていくものなんですよね。私にとって大好きで大切なのはオリジナルの方だけど、でも今のこの曲も別物としてかっこいい、そう思えるようになればいいかな、と。そう思います。 実際、絶望の丘とかsinkとかは、たかちゃんverに勝るものはないと今でも思ってる。だけど、ぶっちverも、回数を重ねていくごとに「別物だけど素敵」になっていった。だからケンケンverが今後、そういう風になっていけばいいなって、思います。
とりあえず、ゆっくり時間をかければ大丈夫。 そう思わせてくれるようなライブを見せてくれたとも、思います。2日間で5曲も替えることができるようになっていたもの。有り難いことですよ。 そんな感じで、自分の中でひとつ、消化できた年末だったのでした。
何かありましたら、どうぞ
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