ともちんの独り言
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私はとても他人にナメられやすいときがあります。遠まわしにイヤミや嫌がらせを言われたり、されたりなんて、日常茶飯事なときもありました。
はじめはすごく仲良くても、あるときから突然掌を返した様に態度が変わるんです。内心、傷ついていても、気のせいだろうと考えるようにしても、何も状況は変わりませんでした。結局は都合のいいときにしか連絡が来ないようになってしまいます。
それでもガマンして笑顔でいて、後から悔しさいっぱいで眠れない日もありました。もちろん、そうでない人のほうが多いのですけど。この、ごく一部の人物を心の中でオオゲサに捕らえてしまっているのではないかとも思うのですが…。
それが嫌なら自分自身も変わらなくではいけないんですね。でないと、何も変わらない。それは頭ではわかっているつもりでした。ナメられないようにするには、まず、本音を言える自分でないといけないな、とも。
本音を言うには、相手の本音も受け入れるという度量も必要になるでしょう。私が躓いてきたのは、自分のことばかりという部分がひとつと、あと他には、人の本音を聞こうとしないという面があるというところもなんとなく感じてはいました。
本音を言うと嫌われると刷り込まれて生きてきたので、この刷り込みに振り回されないようにするには、考え方のクセとか、意識して変えていく以外にはないとも頭ではわかっているつもりなのですが。
まずは本音を隠すことと、自分を過剰に防御することは違うんだよ、と頭ではなく、違うところで実感できるようになれば、一歩踏み出せる自信がつくような気がします。
何気ない会話の中で垣間見える相手の本音に振り回されず(私はここでやってしまうのです。気づかないフリとか、聞かなかったことにするとか、話をそらしたりとか)に、だからといって、無視を決め込まずに、心の片隅にとどめて、そのときそのときで適切に対応できれば、理想なのかもしれません。 というか、もう少し相手へと、意識を向ける習慣がつけばいいのですよ。人間関係の基本って、相手への興味というか、意識を向けることなのかもしれないと、書きながら思った次第です。
先日、感動した贈り物も、友が私を思って選んでくれた物だから、きっとあんなに心にしみたのだと思います。
…ってことは、相手への思いやりが欠けていたから、こういう現実を、私は感じているのだろうか?それって、結局は相手を思いやることが、自分に還ってくるってのと一緒???
情けは人のためにあらず…でしたっけ?それはいい意味でもよろしくない意味でも、自分がしたことは、自分に戻ってくるという戒めなんでしょうね、きっと。
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