ミドルエイジのビジネスマン
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2009年03月23日(月) ブライアン・フェイガン

ここのところブライアン・フェイガンの著作を立て続けに3冊読んだ。原始の時代から、古代、そして中世から近世まで何度も訪れた急激な気候の変動が人類の移動や文明の興亡、侵略や革命との関連を描写している。どの本でも繰り返し述べているのは、環境の急激な変化に対する対応のうち、最も効果的であったのは別の場所に移動するということなのだが、人類の悲劇は、あまりに急速に人口が増えすぎたために、新天地にも既に人が住んでいることだという。

辛うじて、現代の世界が飢餓から逃れるすべがあるとすると、食糧輸送の手段が発達していることだ。ただし、これも世界中で同時多発的に飢饉になれば、実際そうなる可能性が高いのだろうが、支払う資金がないところには十分供給されないだろう。別に将来を見通す特別な能力がなくてもアフリカの限界的な地域では慢性的にそのような状況を見ることができる。

日本など、狭い国土で5千万人の人口を養うには不十分だと中国に移住したのだが、当然そこには中国人が住んでいた訳で、先方に言わせれば、それは移住ではなく侵略だった。そういう悲劇を考えれば、人口減少社会に移行するので大変だとあわてる必要もなく、少なくなった人口で広々と住めばいいようにも思えるのだが。

曽野綾子が本当の貧困とは今の日本で見られるようなものではなく、村中どこに行っても、親戚中の誰もが食べ物を持っていないような状態のことを言うのだと新聞で書いていた。日本の社会はまだまだ、余力があるというわけだ。






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