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ささやかでもない1日
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     2006年10月18日(水)
■「すべてを奪ったJRが憎い」恋人事故死の女性が自殺

■「すべてを奪ったJRが憎い」恋人事故死の女性が自殺(読売新聞 - 10月16日 06:17)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=102653&media_id=20

はじめに、事故を起こしたJRは当然絶対に悪いのであって、
その補償の仕方がどうこうとか、事故の被害者の方や、その家族の方の気持ちについては 察して余りあるものがあります。
年月が癒せるものと癒せないものがあるのも承知しています。

それはそれとして、さておいての感想。


日本人の美徳の1つとして、死者に鞭打つことはしたくないが
遺書をマスコミで取り上げなければならなかっただろうか。

この女性の自殺によって事故の被害者遺族は また色んなものを奪われるんじゃないだろうか。

この凄まじい怨念の遺書を読んだJRの関係者がノイローゼになって自殺をしたら、その遺族はこの遺書を書いた女性とその家族を恨むんじゃないだろうか。

「私は許さない」のいたちごっこ…。怨嗟の円環。

そして、この女性が遺書を読むものに託した「JRに勝つ」 とは、具体的に何を指すのか?

一生入り続けるお金?(^^;

ていうか、内縁の妻?である当人がJRに慰謝料を貰う事までは、世間も認めるだろうけど、それって一生を保証するものじゃないだろう。交通遺児の一生を、加害者が一生面倒見るというのも 滅多にない話であるように。

自殺してしまって、これ以上JRに、誰が何を求める事が出来るのか?

世間ではそれ以上のものを求める連中を ヤカラとかタカリって言うのだ。

精神を病んでる人の一挙手一投足は、本人がどんなに公開を望んでも、周囲のものが熟慮して、マスコミも含めてそっとしておいてやれ、と思う。