written by 田村 MAILHOME
#サイト運営とリアクション・レスポンス。
2005年02月11日(金)

どうもどうも。
僕です。


私の使っている日記ツール「エンピツ」には、エンピツユーザのこの人があなたの日記をお気に入りに入れてくれていますよ〜という「WhoisMy」なるありがたいんだかありがた迷惑なんだか分からない機能、いや、お気に入りに入れていただけるのはありがた迷惑どころか恐縮の至りなのだが、さていざ本機能を使った際に誰にも登録していただいていないことが判明した場合の精神的ショックならびに謝罪と賠償は一体どこにどのように要求したらよいのであろうか。手順を明確にして欲しい。という意味でありがた迷惑という意味である。勿論当サイトのようなモテ系サイトにそのような心配は不要である。いくら登録していただいても困ることはまったくないので、これからもどうかじゃんじゃか登録していただきたい。どうか。

さて、普段であればそのWhoisMy機能はすっぱり忘れて忘却の彼方であるわけだが(モテ系サイト管理人は多忙なのである)、久し振りにチェックしてみると、おお、なんと増えているではないか。ありがとうございますありがとうございます。残念ながら記念すべき第一号というわけではありませんが(モテ系サイトなので止むを得ないのです)、感謝の意をこめて本日取り上げてみたわけです。こんなモテ系サイトで取り上げられるだなんて、なんて光栄なことでしょうか!お返しとばかりにこちらもWhoisMyに登録させていただいた。


WhoisMyはお気に入りに入れてくれていることが分かる機能であるが、要は「この人があなたの日記を楽しみにしてくれていますよ」ということである。付き合いの関係上お気に入りに入れざるを得ない人も居るかもしれないが、なんだか仕事の付き合いみたいな感じになってしまいそうなので、さておいて「気に入ってくれている」ことにしたいと思う。


収益に結びつくわけでもない趣味嗜好の範疇で行っている個人のサイト運営は、管理人のモチベーションの維持がひとつの重要な要素であり、そのモチベーションの維持に、読者からのリアクション・レスポンスが多大な影響を与える。自己表現をした時に、誰かに見てもらい、評価してもらいたいと思うのは当然だ。各サイトにある掲示板やブログに見られるコメント機能・トラックバック機能、先述したWhoisMy機能は、ご存知の通りそういったリアクションを運営者にフィードバックするための機能だ。


で、そこで問題となるのが「沈黙のオーディエンスSimple-憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々-)」である。リンク先にあるように、サイト運営者が対峙するのはあまりのリアクションの少なさであり、そこで運営者はこう考えるわけである。「何故反応してくれないのか。受け入れられていないのではないだろうか」。


掲示板への書き込み、コメント機能、トラックバック機能を利用するには、どれも読者にある一定の手順を強いるものであり、なかなか気軽に出来るものではない。「拍手ボタン」や「投票システム」など、ボタンを押すだけの簡易なリアクション機能もあるが、そのボタンを押す行為ですら、鬱陶しく感じてしまうものである。


そもそも、運営者側は「見てくれた人から目に見える形で出来るだけ多くのリアクションが欲しいし、受け入れられたい」という思惑であるのに対し、読者側は「面白い・参考になるものは見るし、そうでないものは見ない。リアクションは(余程のことがない限り)起こそうとは思わない」というのが基本的なスタンスであると思うので、これではかみ合うはずがないのだ。偏った言い方だが、読者にとってリアクション機能は邪魔者以外の何者でもないのかもしれない(勿論運営者側と読者側に何らかのつながりがある場合は、その限りではない)。


となると、運営者側は何を持って充足とするか、ということになるのだが、あえて充足を求めるのであれば、それはもうカウンタの数字なりアクセスログを見るなりで充足するしかないのではないだろうか。

かく言う私も当然読者の方からのリアクションは欲しいし、リアクションがあれば即モチベーションに直結するのだが、少なくともカウンタが日々回る以上、定期閲覧してくださる方がいるだけで、十分だと思っている。いや、勿論掲示板に遠慮せずにどかどかと書き込んでいただいて一行に差し支えないわけだが(どうも恥ずかしがり屋さんが多いらしい。日本人の美徳といえば美徳である)。


当初、沈黙のオーディエンスが云々〜ということをサイト閉鎖の理由にするのはいかがなものかと考えており、実際小規模なサイトにはこの論理は当てはまらないと考えている。ある一定の規模に満たないサイトが、閉鎖の理由でこれを持ち出してきた場合、それは言い訳以外の何者でもないであろう。

しかし、ある程度大規模なサイトともなって、管理人の意図せぬところで意図せぬことが起きる、コントロールの範疇から出てしまったサイトは、実は閉鎖に追い込まれるには十分な理由であることに間違いはない。一つのメディアとなり、重責を背負わされる代わりに報いがない、というのであれば、趣味嗜好で取り組むには若干荷が重過ぎる。


ケースバイケースにもなってしまうのであるが、やはりサイト運営というものは、マゾのやることではないのだろうか。


結論:
・欲しがりません(勝つまでは、と続かないところがアレである)
・サイト運営者はマゾ(でないと続かない)
・もしくはいい加減
・当サイトの運営は自己満足でやっております(ただしリアクションがあると嬉しい)



今日も膨大な量で言い訳を述べてしまった。




本日は土曜日だと思ってうきうきしながら「元祖!でぶや」を見ようとしたところ、しまった、本日は金曜日であった。騙された。うきうきしたあの輝かしい時間(10秒程度)をどうしてくれるのよ!


大学時代の友人に「いやあ、まだHP運営しているんだよねえ」と言ったところ、「へえ〜」という感心とも呆れともつかない返事をされたが、その目は「え、まだやってんの?」と正直に語っていた。マゾだからいいんですよ。ふん。


というわけで、これより大学時代の友人らとともに、夜の街に飲みに行って来たいと思う。帰りは遅い。誰に言ってるかって?壁に向かって言っているに決まってるじゃあないですか。




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