THE YELLOW MONKEYの「花吹雪」が、それはそれはとても大好きなのだが聴けば聴くほどなんだか身をえぐられるような思いになり、それでも今日も朝から聴いてしまったのは、やはり私はこの歌が大好きであるとともに、やはりマゾとか変態とかその手の類であることの証明になってしまうのであろうかやっぱり。うーん。やっぱり。
割と解散を目の前にした時期にリリースされた「パール」は、とてもイエモンらしからぬ曲ではあったのだが、ロッキン・オン・ジャパンで当時評されたように「MY WAY」よろしく上昇気流に乗ったかのように中盤以降からのドラマチックな盛り上がりは、間違いなく名曲と呼ぶにふさわしいものであった。
らしからぬ、と先述したには理由があり、こうまで真っ向から壁というか障害というか何かにぶち当たった彼らを見たことがなく、通常であれば壁を目の前にしても斜に構えて寄りかかってみたり天邪鬼に振舞ってみたりと、とにかく素直ではなかったのだ彼らは。
それがどうだ、このパールでは真っ向から壁にぶつかり、よくあるドラマのように乗り越えるわけでもなくこれまた真っ向から跳ね返されてみたりと、希望を提示したいのか絶望を表現したいのかなんだかよく分からない混沌とした曲なわけである。
今にして思えば当時の彼らはそれだけに混乱していたということなのであろう。彼らに混乱していない時期はなかった、といわれてしまうとミもフタもないわけだが、パールでは特に酷かった。
しかしその混迷の度合いが高ければ高いほど何故か名曲は生まれてくるもので、これまでのイエモンの楽曲の中ではかなり異色な位置づけではあるが、アレだけひねくれていた彼らからこれだけまっすぐな、とてつもない輝きを持った曲が産み落とされた、というのはとてつもなく感動的なことだったのだ。だったんですよ。私にとっては。
うーん、産み落とされたというよりも、何かの間違いでなんだかよく分からないものが勢い余ってビロっと出てしまった、という表現のほうが適切かもしれない。
そもそも「2000年」前後というのは、トライセラといいバンプといい、どのバンドもどこかしら狂っていたのだが、あれは一体なんだったんだろうか。
さておき、上記のようなことを長年の間思っておったのですが、本日久し振りにパールを聴いて、筆を取らずには居られなかったのである。当時書き留めておけばよかった。
で、通勤中の車の中では毎日毎日飽きもせずにイエモンが大音量でかかっている次第で、よそ様から見たらやはり変態なのであろうなあ。本人は相当楽しいので、どうか放っておいて欲しい。
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