written by 田村 MAILHOME
#例の12歳
2003年07月12日(土)

テレビでもネットでも盛んに取り上げられている例の12歳の件について、この前知り合いと話す機会があったのだが、最終的には「どうにもならないんじゃないか」という結論に到った次第である。


思ったことは次の通り。



若年層による犯罪は、メディアに注目される以前から今とさして変わらず同様にあったのでは?
サカキバラ事件よりメディアで取り上げられる機会が増えたと思うが、ではその報道するメディアが若年層に与える影響は一体どうなのだろうか?その責任までメディアは取れるのか?それを抜きに加害者やその保護者、家庭や社会だけに原因を求めるのは、責任転嫁と言えないか?


報道に、その手口や被害者・加害者のプライバシーに関する詳細な情報まで、本当に必要だろうか?発生した原因を探る考察には必要だろうが、多くの人にとって、その情報はワイドショーなだけではないか?


保護者や学校がその少年の予兆に気付かなかったことについて、自分であれば気付くことが出来たか?自分がその立場になった時、自信を持って気付くことが出来ると私はうなずくことは出来ない。子供とは言え他人だ。


では原因や責任はどこにあるか?今回の件はその少年の個人的な特質に大いに依るところが大きいのではないだろうか。成長過程の多感かつ不安定な状態と個人の素質からなる嗜好、そこに数多くの要素が数多く重なり合い、その結果起きてしまった。といってしまったらあまりに乱暴だろうか。少年個人の責任といえば責任だし、取り巻く社会すべての責任といえばそうなる。まったく結論になっていないが。


ただ、その重なり合った要素を紐解いて、注意を払うことは出来るんじゃないだろうか?何がどんな影響を与えるか、その都度最大限注意を払って、最大限考えて・・・などと自分が親だったらきっとやってられないであろう。そもそもそんな気遣っていかなければならないほど切迫しているんだろうか?そんなに生きにくくしてどうするんだろうか。


と、考えれば考えるほど訳の分からないことで、深刻になりすぎるのも考え物だと思う。勿論深刻になるときも必要だが。他にも色々考えた気がするのだが、ただ、「自分にも関係があるかもしれない」「誰にでも当てはまる可能性がある」ことを忘れてしまっては、つまらない結論にしかならないかもしれない。





ああ、やっぱりよく分からない。
彼はもっと音楽聞いていれば、こんな事件も起こさなかったんじゃないだろうか。そんなことはないか。




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