2005年06月16日(木) ストレスと くじらに対する 粘着と
前回の日記を更新した後、ストレスがマックスに達していたのか、なぜか号泣。一人の部屋で、恥ずかしげもなく声を上げておいおい泣いた。子供みたいに、横隔膜が痙攣するほどに。鼻水たらして。
泣き止んでみると、吐き気が半減していたのだ。おお、なんとストレス発散の偉大なことよ。そのあと、鼻歌歌いながらシャワーなんぞ浴びてしまった。心も身体もスッキリ。昨日も引き続き具合がよくて、さくさくと仕事をこなし、夕飯まで作ってしまった(鼻で息できないけど)。
今日は、吐き気復活。ストレス発散効果は1.5日しか続かないらしい。よっしゃ、いっちょ泣いてみるかと思っても、そうそう簡単には泣けないわな。しかし、思ったのは、いつもシクシク泣いていたけど、どうせ泣くなら豪快にいくべきだったのだ。シクシク程度じゃストレスは解消されない。
関係ないけど、汚い話、ゲップが止まらん。食前・食後お構いなく、四六時中。これは妊婦の傾向らしい。新生児のように、ゲップをしないと吐いてしまうので、しきりにゲップをする。もはや、お行儀云々ぬかしてられないので、必死な形相で意識を集中する。ときには、相方にトントンと背中をたたいてもらって出す。まさに赤子のように。ゲップをすると少しだけ楽になるが、すぐに次のゲップの気配を感じて気持ち悪くなる、というのの繰り返し。
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国際捕鯨委員会の年次会議が来週あたまから始まる関係か、最近、ここオーストラリアでは、くじら関連のニュースが多い。オーストラリアはコチンコチンの反捕鯨国で、日本(少数民族を除く現在の捕鯨国は日本とノルウェーだけ)に対する風当たりはかなりキツイ。
私も過去にいったい何度、日本の捕鯨活動に対する非難を直接されたことか。「あんなに知能の高い動物を殺して食べるなんて、日本人はひどすぎる」と。「じゃあ、牛を食べるのはいいの?」と問うと、「牛は家畜だからいいの」という意味不明の答えが返ってくる。
くじら肉の味の記憶なんてほとんどないし、これから先一生食べられなくてもいいくらいだけど、感情論で一方的に非難されると、こちらも腹が立つ。しかし、とっさの英語力と知識が足りなさ過ぎて論破できたためしがないのである。いつもイヤな気持ちだけ残る。
最近のくじら報道で、その怒りがフツフツと再燃してきた。次のチャンスこそ論破してやるという意気込みのもと、捕鯨について調べまくっている今日この頃。こう聞かれたらこう返す、というシミュレーションも怠らない。かなりの粘着気質だ。
思うに、粘着気質というのは欠点ととらえられることが多いが、私の知識は粘着気質ゆえに得たものが多い。今の仕事だって、高校生のころから英語に粘着してきたからこそできるのだ。そう考えると、専門的な仕事に就いている人は、多かれ少なかれ粘着気質の変わり者だと言えるのではないか。
つづく。
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