2005年01月16日(日) 悪人は バチがあたると 言うけれど
昨日の日記の最後に,
『人は自分に負になるものをあえてしてしまうことがあるけど,これを自覚してコントロールできれば,生きて行くのがうんと楽になると思う』
と書いたけど,これは要するに『煩悩』というのだと後で気づいた。
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最近ニセ1万円札の被害が多い。特に神社などで。先日ニュースを見ていると,神社の神主のような人が出てきて,「神様の前でニセ札を使うなんてきっとバチがあたります」と言っていた。
この「バチ」,そんなものはないと常々思う。なのに,人は悪いことをした人に「バチ」があたると信じているというか,信じようとしていると思う。
『悪』なんて主観でしかない。私にとっての『悪』は,他人にとっては『悪』じゃないかもしれない。今日の『悪』が明日は『善』ということもある。「アイツはいつかバチがあたる」と思うこと自体は『悪』にはならないのか,とも思う。
要は,「バチがあたる」と思えば,気持ちに整理がついて楽になれるからそう思うのだろう。自分がやってる苦労を誰かが怠っているとき,「いつかバチがあたる」と思えば,己の日ごろの苦労に説明がつく。
そういう人間の感情が,勧善懲悪のディズニー映画のようなものを生むのだろう。『善』が『悪』を痛快に倒すザマを見て,英雄に自らの『善』を重ね合わせてスッキリ,みたいな。
だけど,こんな気持ちの整理の仕方はカッコ悪いなーと思うのだ。そんな,人の不幸の上に成り立っているようなモロイ幸せを追い求めていていいのか,と。そんなユルユルの地盤に幸せを築くよりも,さっさとそのクダラナイ呪縛から逃れてもっと堅固な土地に引っ越す方がいい。
そのためには,日ごろしている苦労を苦しいと感じるならやめて,やめられないなら苦しいと思わないようにする,それが大事だと思う。すべては自分で選んだ,または引き寄せた道だと思えば,苦しいことなんてなくなる。
人は自らが勝手に創造した幻の「しがらみ」に絡み付いて,人生を複雑なものに仕立て上げているだけで,本当はもっともっとシンプルに暮らせると思う。
つづく。
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今日もお休みにした。母が相方のために洋服を買いたいと言うので,一緒に買い物に行った。日曜の夜でも開いている郵便局に行って,さっそくEMSで送った。母は相方がどうしようもないほど大好きだ。
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>>「匿名メールフォーム」へのレス
・なんで人は冷静に考えればわかることを,
わからない瞬間があるのでしょうねぇ。
私も昔からそんな感情に悩まされてきました。
幸せになろうキャンペーン参加,大歓迎っ。
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