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2004年04月27日(火) |
百という字から一を引く |
いよいよ今週末にはゴールデンウィークがくる。 連休中も仕事が入ってしまった夫を残し、私と子供達だけ帰省する。
楽しみと云えば楽しみだけれど、実は気が重い行事も待ちかまえている。 親戚の集まりがある。総勢60人というから私には想像もできない。
実母の父、つまり私の血の繋がった祖父が今年数えで99才になる。 白寿のお祝いをすると通知が届いたのは年が明けてすぐだった。 その祝いの席がこのゴールデンウィーク中に催されるのだ。
実母も姉妹もその家族達も全員が出席するから 何も気に病むことはないのだけれど、どうもこの集まりは居心地が悪い。 そう思っているのは私だけで、私がそう思っていることさえ 多分誰も分かってはくれないだろう。
実の母が何人姉弟であるかもしらない。 伯父さん叔母さんの名前も知らない。 従兄弟達ともほとんど面識がない。 私が知っているのは実母と姉妹とその家族達だけ。
60人の集まりとは云っても、そのうちの三分の一が私達姉妹とその家族であるから いつものように飄々としていれば時間は過ぎていくのだと思う。
私は1才の誕生日前から父や母や姉妹達とは一緒に暮らしていない。 姉妹達と比べれば祖父との想い出だって無いに等しい。 ただ血が繋がっているというだけ。 同じ血が流れているというだけ。
ただこの祖父がいなければ、現在の私はこの世に生まれてきてはいなかったんだろう。 と、そう思ったりはするけれど・・・
祖母がまだ健在であった頃、確か祖父と祖母の金婚式の祝いの席で 日舞を披露したことがある。 そのときはまだ私も子供で、それが何のお祝いか、 そこがどういう人達の集まりかということも知らなかった。 ただ養母に着物を着せられて、連れて行かれた。
それは、金婚式のお祝いの気持ちと 養母の意地が入り乱れた行為だったに違いない。
ふと今回も祝儀舞を披露しようかとも考えた。 養母はちゃんと私と云う人間を育てあげてくれましたという証に。 そして養母や伯母が残してくれた大量の和服のためにも。 だけどいかんせん、随分と練習などしていないものだから人前で踊る自信がない。 あっさりと断念。 それでも踊りの振りだけはしっかりと頭に入っている自分に驚いた。 「三つ子の魂百までも・・」とはよく言ったものである。
いろいろ思い悩んだが、とにかく目立たぬように2時間を過ごすと決めた。
本当に気が重い理由・・・ 多分自分でも分かってる。
数えで99才の祖父と同じく「丙午(ひのえうま)」の私。 60年に一度しか巡ってこない干支。 つまり・・・・・ 私も今年で39才。数えトシなんて大嫌い。
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