たそがれまで
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2003年05月15日(木) 元夫のこと 3  〜親になる〜





元夫と養母と私の3人で
しばらくは穏やかな時間を過ごしていた。

結婚して1年ちょっと
「子供はまだ?」とよく言われた。

元夫は子供が好きで、知り合いの子供ともよく遊んであげた。
子供は本能的に構ってくれる人を嗅ぎ分けるから、
元夫の周りにはいつも子供が寄って来た。



肝心な私達の子供といえば・・・
正直、もう諦めていた。

生理不順でおそらく排卵が起こっていない私と、
病院の診察で子供を作るには精子の数が足りないと
診断された元夫。
私と再会する前の、長い同棲生活でも子供が作れなかった元夫。
おそらく子供が出来ていたなら、彼女と結婚していただろう。

私の子供を養母に抱かせてあげたかったけれど、
半分以上は諦めていた。
かといって、不妊治療に出かけようとは思わなかった。

生意気な言い方だけれど、
『神様におまかせしよう』という心境だった。
私達に子供を授けた方が良いなら、神様がそうして下さるだろう。
授けない方が良いのなら、そうなさる筈だから。

だからと云って、私は何かを信仰しているわけじゃない。
信仰については、いずれまた、書くことがあると思うけれど。



二人の時間。
よく出かけた。
よく外食をした。
二人だけの時もあったし、養母を含めて3人の時もあった。
そんなふうに時間は流れていく筈だった。穏やかに。



体調の変化に気がついたのは、平成4年の初夏。
微熱が続き、身体がだるい。
薬を服用するほどの熱ではないが、2週間くらいは続いていた。
そのうち頭痛が酷くなってきた。
さすがに病院で受診することに決めた。


いろいろ検査をして貰ったが、何も異常がないとのことで
頭痛とだるさを抑える薬を「妊娠はしてないね」と念を押されて渡された。
妊娠なんてできないと思い込んでいた私は、「はい、してません」と答え
しばらく薬を服用した。



それから2〜3週間が経ったけれど、やはり体調は快復しない。
もしやと思って市販の検査薬を使用してみると、陽性。
そう、妊娠していた。


妊娠できたら嬉しい筈だった。
皆の祝福を受け、幸せな気分になれる筈だった。
でもその時の私は、ずっと服用していた薬のことが頭から離れない。
翌朝になるまで泣いて過ごした。
きっとダメだ。と、それしか考えられなかった。






東風 |MAILHomePage

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