告白は喉の奥
L.ニトロ



久々。


心理テストだったか何だったかで出た結果(結構前)に、ギクリというか「…そうなんです」というか、な一文。
『対社会的な道徳に対する判断は拒否しているか、無能力化されている』
いえ、この現代日本に於いて、多かれ少なかれ誰でもそういうものだとは思うし、善悪なんて突き詰めれば突き詰める程難しいのだとは思うんだけど…

相対的価値観なのだと言われた。
絶対的価値観に依らず、自分の感覚で決めているのだと。

そうでなければ苦しい。
そうでなければ潰れてしまう。

どれだけ、多くの痛みのあることか。
どれだけ、受けたことのない痛みを気安く慰め、励ます声のあることか。
闘え、と、言うのは簡単。
負けるな、と、言うのは簡単。
頑張らなくてもいいなんて、慰めることすら。

痛みを知り3日前に会った人が自殺し、自認と体性別の違和感を訴える人が道を踏み外し、心を病んだ人が矢張り死に。守りたい人が犯され、この手に何の力もなく、無常の時が流れる中に立ち尽くすばかりで。


絶対的な善悪を、或いは道徳を信じられる人は、強いと思う。

情に依らず義を貫く人を羨ましいと思う。
「私」に(少なくともその性において)死ぬまで救いは訪れないと認めながらも、それでも義はあるべきで、成されるべきだと言い切れる潔さは羨ましい。

今、己の弱さを呪う程には弱っていないけど、強くなりたいとは思わない。
今はまだ、守れる強さを身につけて、尚、弱者に唾棄を向けずにいられるほどには、私は鍛えられていない。
弱さを解さない強さなら、要らない。
陰を踏みにじって心の痛まない陽なら、要らない。


…さっぱり片想いに関係なくなってきたので、ジャンル変更を考えている今日この頃です。

2004年06月23日(水)
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