その間,妹その2が虫垂炎で入院して薬で散らして退院して, 再入院して手術してました。あれ?その病院訴えたら? だめだ。Monster Patientの典型になりそう。 あとできいたら,なんか変なうわさのあるいわく付きの医者病院ではあったらしい。
県庁所在地のある某市内で中学の友人らに会い, お通夜に行く友人がいたのでそこで解散。 友人の家族のうちで顔なじみのご両親とだんなと子供に会って 夕食をご馳走になり,市内で一泊。
次の日某大へいって打合せをした後昼を一緒にとって 談話会をして,お話し合いをして,高校の友人に会ってから 高校のあった町へ移動。高校の友人らとあって話をして実家へ帰宅。
次の日実家の近くの親戚へ。結局バーさんにしか会えず。 他の親戚はたぶん葬式でもない限りあえないんじゃないか? というくらい縁がない。その後妹その2のうちを経由して見舞いへ。 おいを迎えにいって夕食を食べて寝る。 さすがに彼は私を覚えてはいなかった。
妹が入院しているから義弟と話も弾まないし, 彼も病院やおいの世話などで疲れてるだろうからってことで, 飛行機を早いのに変更してもらい帰宅。 伊丹からは奈良までの直通バスがあるらしいので551で豚まんたべてバスで帰宅。
帰ってきても,大学では仕事できないんだよなあ。 停電だし,工事中だから。月初めは勉強会みたいな研究会です。 明日はその準備。
--- もうしばらく帰らない。というか,帰りたくないしもういいや。 いやなことがあったわけではなくとにかくしんどかったのと, 私だけが努めて向こうとの物理的なつながりを保とう とすることはなかろうと思ったわけです。 年賀状か暑中見舞いでのつながりだけで十分です。 もう大体主だった人たちにはあったし。
こういう行動になってしまうのはひとつ理由があり, 小学校の時転校した前の同窓会へ行った所, まったく交流の意図口がなくなったことに気づいたことがあり, 半分トラウマになっているのです。自分が思うほど 相手が思うことはないのだというのが学べただけでも 良かったと思いますが,努力をしないとつながりは保てない と知ったわけです。
でも,こちらだけ無理してもつながりを保つのは無理があるわけで, しょうがないと思うことにしました。うちがここなのに 前の場所に執着するのも住んでいるところに愛着がもてなくなる ひとつの理由かもしれませんし。
もともと帰省などはほとんどしない人ではあります。 この四月にこの職について,なんとなく自分自身を見失ってしまって いたのかも。結局親の老後の話し合いも出来ませんでした。 あまり考えてもしょうがないので,自分のやりたいようにすれば いいのだと思った旅行でした。
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