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らんだむうぉーくー回顧録ー
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モバイル用 2008年08月30日(土)
帰省してきました

その間,妹その2が虫垂炎で入院して薬で散らして退院して,
再入院して手術してました。あれ?その病院訴えたら?
だめだ。Monster Patientの典型になりそう。
あとできいたら,なんか変なうわさのあるいわく付きの医者病院ではあったらしい。

県庁所在地のある某市内で中学の友人らに会い,
お通夜に行く友人がいたのでそこで解散。
友人の家族のうちで顔なじみのご両親とだんなと子供に会って
夕食をご馳走になり,市内で一泊。

次の日某大へいって打合せをした後昼を一緒にとって
談話会をして,お話し合いをして,高校の友人に会ってから
高校のあった町へ移動。高校の友人らとあって話をして実家へ帰宅。

次の日実家の近くの親戚へ。結局バーさんにしか会えず。
他の親戚はたぶん葬式でもない限りあえないんじゃないか?
というくらい縁がない。その後妹その2のうちを経由して見舞いへ。
おいを迎えにいって夕食を食べて寝る。
さすがに彼は私を覚えてはいなかった。

妹が入院しているから義弟と話も弾まないし,
彼も病院やおいの世話などで疲れてるだろうからってことで,
飛行機を早いのに変更してもらい帰宅。
伊丹からは奈良までの直通バスがあるらしいので551で豚まんたべてバスで帰宅。

帰ってきても,大学では仕事できないんだよなあ。
停電だし,工事中だから。月初めは勉強会みたいな研究会です。
明日はその準備。

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もうしばらく帰らない。というか,帰りたくないしもういいや。
いやなことがあったわけではなくとにかくしんどかったのと,
私だけが努めて向こうとの物理的なつながりを保とう
とすることはなかろうと思ったわけです。
年賀状か暑中見舞いでのつながりだけで十分です。
もう大体主だった人たちにはあったし。

こういう行動になってしまうのはひとつ理由があり,
小学校の時転校した前の同窓会へ行った所,
まったく交流の意図口がなくなったことに気づいたことがあり,
半分トラウマになっているのです。自分が思うほど
相手が思うことはないのだというのが学べただけでも
良かったと思いますが,努力をしないとつながりは保てない
と知ったわけです。

でも,こちらだけ無理してもつながりを保つのは無理があるわけで,
しょうがないと思うことにしました。うちがここなのに
前の場所に執着するのも住んでいるところに愛着がもてなくなる
ひとつの理由かもしれませんし。

もともと帰省などはほとんどしない人ではあります。
この四月にこの職について,なんとなく自分自身を見失ってしまって
いたのかも。結局親の老後の話し合いも出来ませんでした。
あまり考えてもしょうがないので,自分のやりたいようにすれば
いいのだと思った旅行でした。