たとえ話で判った気になっても意味がないといってもいいのかな? (元記事および日本語)
実際のところ、啓蒙的な話は特にそうだが、その時はわかったつもりになっても実際には理解できていないことが多いと思う。 学生に教えていてもそう思う。 どんなに理解してもらいにくいことでも、わかりやすく噛み砕くより実は、まともに教えたほうが理解してもらえるような気がする。
ファインマンも「一般向けの、数式のない本を読んで分かった気になるなよ」といってた。 ---
他にやんないといけないことも結構あるのだが、今日は学術会議の中継を見ていた。何つうかおなかいっぱい。 こうやってやられるプロジェクト研究って、積み上げられた研究の中での土台に砂を詰めているように見える。 そのためにみんなが一丸となって作業するんだろうが、それは土方仕事でなくてなんなんだろう? 個人の存在意義ってどこにあるのかな?と思ってしまう。
とはいえ、今のポストについたせいで、堂々とプロジェクトに名前を出せるようになったのはチャンスであると思うべきだとは思う。 独自性を出せるかは別問題だけど。
まず私にやれることは、今までやってきたこと、やろうとしてきたことを埋めていくこと。広げていくこと。 必要な人とのつながりを作ること。 個人商店としてのの強みを作ること。
ちょっとローステートなので今日は稽古休み。
--- 読んどきたいと思う本をメモ。 手に入れた覚えがあるのだが見つからない。→みつかった。 買い足す前に見つかってよかった。 持ってるけど読めてない。
--- あまりにもうつうつしてきたので模様替え。 いまだに1LDKを使いこなせない私がいる…。 居間と寝室と書斎と物置が混在してしまってた。 これで少しは住み分けはできたっぽいので落ち着くかと。
職場の実験室も使いこなせてないんだけど、夏休みに工事が入るので配置をフィックスさせられないでいる。
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