2002年09月10日(火) >> ウソ。
28コの、ウソをついた。
まずは
3つのコトバを、6回も重ねてウソにした。
最初の1回目は
クチをついたコトバで、胸が張り裂けそうだった。
次の2回目は
胸の痛みが更に増して、ただただ苦しかった。
続いた3回目は
息ができなくて、死んじゃうかと思った。
今度は違うコトバでウソをついた。
1つめのコトバで、カラダが震えた。
2つめのコトバで、視界が歪んだ。
3つめのコトバで、声が出なくなった。
それでも重ねた、3つコトバの4回目には
エンマ様に、舌を抜かれる覚悟をした。
そして続けた別のウソ。
4つめのコトバで、めまいがした。
5つめのコトバで、涙が出なくなった。
6つめのコトバで、自分がキライになった。
5回目の3つコトバをクチにした頃には、全身の血の気が引いていた。
マタ続けてウソをついた。
7つめのコトバで、目を伏せた。
8つめのコトバで
頑なだったハズのあたしの中のあたしが、とても淋しそうに笑った。
そして3つめのコトバを2回も繰り返したら
今まで震えていたハズの、カラダの感覚がなくなっていた。
3つコトバの6回目を云い終えたら
どうしてウソつきには
あんなにも体力があるのかが、わかった気がした。
ほんの10時間足らずの内についた、こんなにも沢山のウソ。
その全部が、自分を護るためだ。
「オマエが自分を護る為なら、どんなウソでもつけ」と云ったヒトがいた。
「全部のウソは俺が引き受ける。オマエにはそのまま笑って欲しい」と云ったヒトがいた。
「何かを護らないウソは、ソレこそがウソだ」と云ったヒトがいた。
「オマエのウソは、ウソになんて聞こえない」と云ったヒトがいた。
上手にウソをついて、キレイに隠し事を秘めてさえいれば
きっともっと、ずっとずっと楽に生きていける。
けれど
楽に生きる事と、しあわせに生きる事とは違う。
あたしは
ウソをついた傷みに鈍くなって、自分バカリを護り続けていく事よりも
痛くたって辛くたって苦しくたって
ウソの傷みを知ったあたしで、ウソの傷みなんか与えたくないキモチを選ぶ。
きっとそれではあたしが傷つくのだろうけれど
そしてそれを見たあたしの大切な人達は
あたしの想像なんて及ばない位に心配をしてくれるのだろうけれど
それでもあたしは
猜疑心の種を育てたりしない、透明なキモチで傷つきたい。
きっとあたしを大切に想ってくれてるみんなだって
自分を護る為に何かを傷つけてるあたしなんて、本当は望んでないのだろうから。
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