2002年06月13日(木) >> 「生きててくれてありがとう」
実に3〜4年振りに連絡を取った、旧知のトモダチから云われたコトバ。
かなり、ドキっとした。
と、云うのも
めぐは去年交通事故を起こしていて(正確には“巻き込まれた”のカナ?)
未だ通院生活を繰り返している療養中の身だからだ。
確かそのコとは10歳頃カラの友達で
めぐ父が他界した翌年ぐらいに知り合ったのね。
それから中学を卒業するまでは結構べったりで
デモ高校が別れちゃってカラは疎遠になりがちだったりして。
3〜4年くらい前に一度連絡を取り合ってたハズなんだケド
ナンだかお互い色々あったりして、やっぱり疎遠になっちゃってて。
そんなめぐが、イキナリ連絡をよこしてきた。
アクセスしてみたらば
「事故っちゃってたの♪云ってたっけ?」
なんて、実にあっけらかんと云う。
彼女にしてみれば、正に寝耳に水だったのだろう。
ひと呼吸おいてから
「生きててくれてありがとう。
知らないトコで死なれてなくって、本当によかったよ」
と
ちょっと毒巻きながら云った。
モシカシタラ、毒巻かなければ云えなかったのカモ知れない。
ふと、いろんな事を思い出した。
事故当時の曖昧な記憶の中から
救けてくれた現場の方々の立ち回り、意識確認が取れた時の安堵の声
無理して起き上がっためぐに「動かないで」って注意してくれた表情。
もう殆ど覚えてないケド
たくさん云って貰ったハズの、「○○でよかったね」ってコトバ。
数ヶ月も経ってカラやっと状況の把握が出来始めた頃に云われた
「危なかったね」「救かったね」ってコトバの“実感”。
ソレまでは本当に
カラダとココロがどうしようもなく痛くって
カラダの痛みが本物なのか
自分の軟弱なココロからくる逃避的な痛みなのかの区別もつかなくって。
だけど
強がるクセだけはそのまんまで
正直に痛みを訴えられなくって。
デモそんなの
めぐを“知って”くれてるヒト達には全ッ然お見通しで。
なのに
本当は一番大切にしておきたいハズのものから傷つけて
当然、そんな自分さえも否定しがちになっていって
ただただ毎日を、自分の中の痛みの浄化に費やしていた。
もしかしたらソレは、今もあんまり変わらないのカモ知れないけれど
きっと今なら、わかるだろうな事がたくさんある。
あたしはホントに、周囲のヒトにはとても恵まれている。
傍にいてくれる誰かには本当に恵まれているんだと
これほど誇らしくさえ思える。
云えないコトバに気づいてくれたり
表現できない痛みを和らげてくれたり
わからない何かカラ護っていてくれてたり。
誰もが一生涯で必ずしも巡り会えるだろうとは限らない位ステキな人達と
あたしは何度も触れ合える。
いつしかあたしは自己嫌悪を止めて
「あたし“なんか”」なんて、2度とクチにしなくなった。
そんなあたしを想ってくれてるヒトがいる分だけ
それがみんなに失礼な事なんだと思えるようになったから。
きっとあたしの生きる意味は、それだけで充分に余りある。
時に、痛みで気が遠のく事がある。
足元が見えなくなって、目も開けられなくて
何かに触れるのさえも怖くって。
それでもこんなあたしに、あたたかい手を差し伸べてくれます。
優しく抱きしめてくれます。厳しく叱ってくれます。
何度も、何度も。
自分の足元さえ構いもせずに。
何も返せないあたしに
ただ、「生きてろ」って云ってくれます。
「どうして?」なんて聞いたら、きっとまた怒られてしまう。
あたしはきっと、誰よりも幸せに生きています。
傷みの隠し方を覚え始めた頃に頬をひっぱたいてくれた人。
幼いながらも全てだと思えたものを失った時
見据える未来に「責任を持つ」って云ってくれた人。
「幸せによそみをするな」って怒ってくれた人。
とっくにコワレてた痛みに気づかせてくれた人。
「毎日ホントの事なんて云わなくてもいい」なんて、ささくれた道をくれた人。
あたしのまんまのあたしを、ただゆっくりと求めてくれている人。
どうしてコトバは、こんなにも無力なんだろう。
あたしの中のどんなコトバにも、あてがえられるコトバなんて存在しない。
伝えたい想いはあふれているのに、伝える術が見つからない。
それはもしかしたら
そんな術を見つけるまでは、何も投げ出せないという事。
「ちゃんとわかってる。充分伝わってる」
そう云ってくれる人達だからこそ
自分のコトバを捜さなくちゃイケナイのかも知れないと思えた。
「そばにいてくれて、ありがとう。」
これから巡り会う人や
もう逢う事さえ叶わない人にだって胸を張れるような
そんなあたしで、生きて行きたい。
まだ迷います。
まだ間違えます。
まだわからない事だらけです。
ゆっくりでもいいならば、少しずつでも構わないのならば
あたしがあたしでいいのならば
きっとずっと笑っていられるから
だからどうか、幸せでいて下さい。
◇◆◇ めぐ。 |