いっしょくんの日記

 へ(* ̄ー ̄)> 
なんとなく 書くんで〜
なんとなく 読んで下さいね。

2007年10月05日(金)  意識

 上の娘が通っている塾で
 面接がありました

 長女にはずいぶん悩まされたことは日記にも書いたと思うのですが
 親の考えすぎとか 過干渉だとか
 私自身反省する所もあるので
 気にしないでいようと過ごしてはいますが
 それでも 今日のように彼女のことを語るときには
 どうしても現実に引き戻されることになります

 「性格を何とかした方がいいぞ」
 
 まぁ 普通のお母さんなら
 カンカンに怒る言葉かもしれないですが
 あの子の親なら そのくらいの言葉で驚いていられないわけです
 ベテランの塾講師が お手上げということでしょうか
 ぼろくそに言われました
 どうして怒らないのか不思議な思いで
 この日記を読まれていることと思いますが
 この講師の言う言葉に込めた思いは まったく同じように
 私が家で娘に伝えたい思いだからなのです

 「お母さんが思っている以上にこの子には意識というものがないです」

 恥をさらすようですが
 どうも塾に行くと寝てしまうということのようで
 講師も言葉がないという気持ちが伝わります
 一体どうしたらいいのか
 私の育て方が悪かったのかとへこみます
 
 わかっているけど動かない 知っているけどしない
 言われるけどできない
 スチューデント・アパシーって言うのはこれですかね・・・
 娘を見ていて少しずつわかってきたのが
 関心のないことには一切手を出さないということです
 人間誰でも関心のあることには一生懸命になるし
 関心がなければ通り過ぎてしまうものですが
 やらなければならないことと 関心がないということは
 別物だと思いませんか?
 関心がなくてもやらなければならないことはするでしょう?
 ・・・・というか
 しなければいけないでしょう?

 「関心がなかったらしなくてもいいじゃないか」

 と 思います?
 親だったら そう言って過ごせないものってありますよね・・・

 宿題をしない 提出物を出さない
 テスト勉強をしない 
 関心が無いからってしなくていいことですかねぇ・・・

 「意識が育ってない」
 
 意識・・・
 一体どうしたらいいと思いますか・・・
 心が動かないのです
 できるだけ情緒豊かにと 感動や発見をしに
 あちこち連れて歩いたりしているのですが・・・

 娘の表現力の問題でしょうか・・・
 私たちと過ごす娘は楽しそうにおしゃべりするし
 私に偉そうに意見したりもできるのですが
 学校のこととなると駄目なのです
 かといって成績が゛足踏み号令゛状態というわけでもなくて
 『何もしないでこのくらいなら
   頑張ったらどこまでできるか試してみたくない?』
 今回の試験の前にも あの手この手で話してみました
 暗記に使うといいよと マーカーもそれとなく置いておいたり
 ルーズリーフを使った暗記方法も見せたり
 とにかく英語だの社会だのは丸覚えだから
 暗記力テスト クイズみたいなものなのよ と刺激しても
 結局駄目でした
 ぼーっと机の前に座り 宙を見つめているような感じです

 「社会はお母さんがいったみたいなやり方でやってみて
  いつもよりできたのに成績がかわらなかった」
 と 初めて今日の面接の後でぼやいたので
 『だったら社会の先生に言うべきじゃない?テストの点数として
  ここまであげたのに どうして通知表に反映されなかったのか
  納得いくように学校で聞いておいでよ』
 「えええ わけのわからない先生だから嫌だ」
 『そういうことじゃないでしょ・・・ 
  あなたの将来がかかってっているくらいの気持ちで
  食いついといでよ』
 「・・・・」
 それ以上は無理ですよね

 ゛感情表現の過度な家庭には統合失調症を発症する例が多い゛
 
 なんていう文を目にしたら 
 余計な心配で頭がいっぱいになってしまうわけです
 私が大袈裟に表現するからだろうか・・・とか
 幼児期に何かしてしまったかな・・・とか

 いい子なんだけどなぁ・・・
 気にしないことが一番と
 今みつからない答えは探さないことにしているのですが
 
 どうしたら心や体が動くのかなぁ
 
 


 < 過去  INDEX  未来 >


いっしょくん [MAIL]

My追加