いっしょくんの日記

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なんとなく 書くんで〜
なんとなく 読んで下さいね。

2007年10月03日(水)  思い

 ここに来たら なんとなく深呼吸したくなりました
 悶々とした気持ちをどこに吐こうかという時に
 この場があるということが ありがたく思えてきました
 書かなくては・・・と言う思いのときもありましたが
 今日は懐かしい友達にでも愚痴をこぼすような思いです

 今年の4月から
 障害者とかかわる仕事に非常勤として就いてから
 半年以上が過ぎました
 日数にしたらまだ三ヶ月くらいなのですが・・・

 私は聴覚障害者を担当し
 聴覚の方が関わることは私も関わるようになっています
 彼らのパワーはすごいもので
 仲間で行動するのでわいわいと移動してゆきます
 聞こえないという障害は
 本当に理解されているのでしょうか
 このごろ私が抱いている疑問なのです

 「彼らが一緒だとめちゃくちゃになる」
 こんな話が聞かれるようになったのは
 私が聴覚を担当することになって
 たくさん聴覚障害者がセンターに集まるようになってからではと
 気にかかります
 伝えることに一生懸命な彼等
 相手のことが自分に伝わらなくても
 自分が伝えておけばわかっていてもらえると
 思いを託すような様子を感じます
 聴覚障害者と一緒に活動をしている難聴者達は
 まったく聞こえないことと 多少でも聞こえるということは
 全然違う世界なんだと言います
 わかってもらうことで精一杯の聴覚者に
 わかりきれずに悶々とする難聴者
 一堂に会しながらも悪く言ったりするのです

 私は聴障者を差別視しているのでしょうか
 そういう身勝手さは気にならないのです
 一まとめに非難するのではなく
 それぞれに性格があり人柄があり
 それに加えて 障害を踏まえた理解をしなければと思うのです
 長い事彼らを見てきたせいかもしれないですね
 センターの若い職員は その聴覚障害者の身勝手さを
 強く批判する発言をします
 そのたびに私は「何とかしろ」と言われているような気持ちになります

 「聴覚の人はわからないね!自己中で周りが全然見えてないんだね」
 周りが読めないから確かめたい 自分というものを伝えたい
 じゃないのかな・・・
 百聞は一見にしかず でも 百見は一聞にしかず のときもあるのです
 突然電車が停まったら?突然電気が消えたら?
 自分が障害者だとわかってもらえず
 何の説明もなかったら・・・
 聞こえたら直ちに行動できることがあるのです

 絶えず周りの状況を掴みたい
 自分の存在を知っていて欲しいという不安は
 どう彼等に表現できますか・・・
 手話も使わずにおとなしく立っていろ
 そんなことができますか・・・・

 身勝手にされたくないなら
 充分な説明とその時間を作って欲しいです
 車椅子の人が町を歩いたり
 視覚障害の人が出かけるには
 道の段差の様子やトイレの状況
 道が平行であるか傾いてないか
 気をつけることがたくさんあります
 それと同じことです
 今の状況が掴めているかな
 いつどこで何をするか把握できたかな
 障害にあわせた援助があるのです

 まず身勝手だと感じたら
 連絡は充分であったか どうしたら共有できるか
 反省と試行錯誤が必要ではないですか

 自分の福祉観がわからないのです
 障害者にとって何がいいのかわからなくなっています

 バランスが崩れたとき
 理解はなくなります


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