こんなに好きでもいいですか? すみれ 【MAIL】【HOME】
- 2002年06月18日(火) 今までの事<ファザーコンプレックス3>
御祖父ちゃんが居なくなっても、晩年を一緒に生活しなかった私には、
今でも御祖父ちゃんが生きているような感覚で居ます。
一年のうち1度か2度しか帰省出来なくても、
汽車の中で自分の育った何も無い田舎を思い出す時、
御祖父ちゃんがまだ、あの教会の中に居て本を読んだり、
汚れた蝋燭台を掃除しているんじゃないかと思ったりしました。
無理に忘れないで居ようと思い、何年か過ぎ、、
私はその後、同居人と出逢って、自分の考えで結婚する事を決めました。
結婚式を私の育ったあの、教会で挙げる事にした私は、
同居人と一緒に何度も衣装合わせや、準備で
御祖父ちゃんの居た家に行きました。
「御祖父ちゃんが見たらどんなに喜んだだろう・・・・。」
仮のウェディングドレスを着た私に、
何度も母も御祖母ちゃんも、そう言っていました。
結婚の準備も整い、後1ヶ月後に式を控えた私の携帯に、
見知らぬ女の人からのメッセージが入ったのはそんな時でした。
「美穂子です。至急、電話を下さい。電話番号はXXX-XXX・・・・。」
誰だろう?と思い、残っていたメッセージの番号に電話をすると、
さっきと同じ女の人の声がしました。
「すみれちゃん?覚えてる?美穂子だよ?・・・・・・美穂子叔母ちゃんだよ?」
「あの・・・・スイマセン・・・・・誰ですか?」
その、女の人の声に覚えはありませんでした。
美穂子と言う名前の叔母にも心当たりはありませんでした。
「すみれちゃんの・・・・本当のお父さんの妹だよ?」
「・・・・・・・・はい。」
どうしたんだろう?今頃になって・・・・と思いました。
父と22年振りの再会を果たした後、父とは何度か電話で会話する機会や、
年賀状が届いたりしていました。
一度だけ一番下の我侭な妹と大喧嘩をして、母も養父も私の事を責めた時、
自分から電話をした事がありました。
「もう、あんな家の人間で居たくない。」私がそう言うと、
父は「そんな事を言わないで、今まで育てて貰ったんだから。」
と私に言い聞かせました。
でも、あれ以降、父とは話す事も逢う事はありませんでした。
「あのね・・・・・・すみれちゃん。」
私は仕事中でしたが、取るものも取らずに、すぐに帰省しました。
同居人も一緒でした。
父が住んでいた家は私が子供の頃に母と住んでいた家に似ていました。
私が行った時、父はもう、御棺の中におさめられていました。
父の顔は青白く澱んでいて、
その姿は自分で自分を絞殺した事を物語っていました。
「お父さん・・・・何で独りで・・・・・。」と言うと
隣に居た叔母は泣き崩れてしまいました。
火葬を行っている間に母も実家から到着しました。
「お養父さんに言って・・・急いで来たんだけど・・・」と、もう泣き顔の母は、
とうとう、最後の生身の父の姿を見られませんでした。
遺影は最近の写真が無かったのか、若い時の姿でした。
「息子が一番、元気で希望に輝いて居た時の物です」
私が今まで見た事もなかった、
御祖父ちゃんという人が母に頭を下げながら話していました。
「すみれが生れた時くらいのお父さんだよ?本当に・・・すみれにソックリだね〜。」
と母は目を押さえながら私に言いました。
私も若かった時の父はこんなにも私に似て居たのか、と子供の頃、
よく親戚に言われていた時の言葉を思い出しました。
「すみれちゃんは・・・・誰にも家の親類には似てないね・・・
やっぱり、ママが別れたお父さんにソックリだよ・・・」
実父の死で、その意味が本当に解ってしまった私の悲しみは、
子供の頃の、あの夜に火傷を負ってしまった右手の跡のように、
表面上は薄く見えなくなっても、
実は心の奥底では一生、消えないもののように、
その跡をクッキリ残してしまいました。
火葬が終った後、実家に近かったので、
養父の居る実家に行く事になりました。
車の中で母が、
「私とお父さんは御互い嫌いになって別れた訳じゃないから・・・」と
私に言っていました。
私も今まで母からは父の悪口や辛かった時の事を一つも聞いた事は無く、
その時も「じゃ〜何で離婚なんてしたの?」と聞きたかったのですが、
どうしても聞けませんでした。
実家に着くと養父が悲しい顔をして待っていましたが、
何時もと変わらず「今日は何、食べる?」
「折角、旦那になる人が来てくれているんだから・・・・。
何か食べにでも行っておいで?」
と私達に気を使ってくれていました。
私と母と同居人が食事を終えて家に戻ってくると養父はお茶を飲み、
そして、イキナリ正座を仕出して、こう言い出しました。
「すみれ?お前の本当のお父さんは、もう居ないんだよ。
何処をどう探したって、ここにはもう居ないんだ・・・。
今まで、俺はお前を嫁に送り出すまではアイツの代わりをしようと心に
決めて、お前を引き取ったけれど、お前はもう、伴侶を見つけたんだから、
その人と居る事・・・その人と居る所がお前の居場所なんだから・・・。
もう、お前の名前も変わることが無いんだよ。」
養父は泣いていました。
突然、泣き出す養父を見て、私も、とてもビックリしました。
養父の気持は私が歩いてきた道で少しずつ、
理解できるようになって来ました。
最初の不倫で相手が離婚する話を続けていくうちに、
相手の子供を引き取るようになったら?と
自分に問いかけた時、その問題の大きさに自分でも、
「もし、そうなったら・・どうなるんだろう?
皆、キチンとやって行けるのだろうか?」と不安に思った事もありました。
養父も私を引き取る事を決断した時はまだ、若く。
きっと、自問自答した日々も在った事だと思います。
子供の頃、悪戯されたのは、あの夜、1度きりでした。
今でもハッキリと覚えていますが・・・・もう、終ったんだ・・・・とそう思いました。
「今まで、有難う御座いました。」
私は深く頭を下げて、嫁いでいきました。
私が結婚する前、一つ解った事がありました。
それは、婚姻届を提出する、戸籍抄本の中にありました。
実父の抄本を目にした時、母と私が籍から抜かれた後、
見知らぬ女の人の4人の名が、そこに書き込まれていました。
結婚と離婚を繰り返しても尚、彼には悲しいことがあり、
一人で逝ってしまわなければいけなかった孤独は
そこに載っていた誰にも拭い去れなかったのでしょう・・・・。
そして、私はある事に気がつきました。
私の戸籍にハッキリと養子縁組が記載されてありましたが、
親権は「母」になってありました。
後から、それを母に聞くと、
「お養父さんはね・・・すみれが何か間違った事をした時、自分が全責任を
取るって言ってくれたんだけどね・・・私がお前を側に置いておきたくて・・・
何かあるといけないと思って・・・2度目の離婚とか・・お見合いだしね・・」
そう言いました。
私は母にも養父にも感謝しました。
実父の死後、経営していた会社の実権は
全て私に委ねられる事になってしまいました。
5回も結婚を繰り返したのに実父の子供は私1人だけでした。
私はその権利を全て放棄して。
個人資産の中の遺産金だけを名義変更しました。
そのお金は、あの時、苦労した母に行くはずのお金でした。
それなのに、何故かココでのうのうとイビキをたてている
同居人に行く事になってしまいました。
「ファザーコンプレックス」
この言葉を聞いたのは、不倫が終わり祖父が亡くなり、
私の自立神経が加速度を増して発作が頻繁に起き、
掛かりつけの内科から、
初めて「精神神経内科」の門をくぐるのを勧められた時でした。
「なんで?精神神経内科?私は何処も可笑しく無い。」
内科の先生は、
「貴方は外見状、何処も可笑しく無いように見えますが、実はもっと、
深い所で病んでいると思います。」と言いました。
CTやエコーや24時間心電図も取りました。脳波も異常は見られませんでした。
整体にも行きました。ただの肩こりです。と言う割には発作は続きました。
諦めて精神科へ行くと、長いアンケートのような物を書かされました。
名前を呼ばれるのは割と早く、眼鏡を掛けた中年の医者が座っていました。
そこは普通の診察室ではなく長いテーブルが置かれた、
会議室のような部屋でした。
先生に症状を話すと、アレコレ質問されました。
その質問はとても長く、ウンザリしながら答えました。
そのうち、これまで在った事、出逢って来た人について、
誘導尋問のように話をしました。
2時間も3時間も、そこに居たと思います。
気がつくと、私は泣いていました。
子供の頃、あの教会で自分が仕出かした罪を懺悔するのに、
神父さんに話すような気持になっていました。
あの頃は、友達のお菓子を横取りしたり。
毎日、チョコレートを買ってくれないと駄々をこねたりした事でした。
でも、その時は違いました。
「堕胎」はクリスチャンの私には罪なのです・・・・。
先生は言いました。
「御祖父ちゃんが・・・貴方の中では偉大でしたね・・・・。
堕胎した時、御祖父ちゃんに、かばって貰えなかった事も、
気になさっているのではありませんか?」
それも一理あると思いました。
「ファザーコンプレックスが父に対しての物でしたら、貴方の場合、
グランドファザーコンプレックスですね。」
「ファザコンもマザコンもそうですが、皆、誰しもある事なのですよ。
余り、それについては考えないようにして下さい。
それよりも、この病気は表面上、責任感が強い人やストレスを
ストレスだと思わない人が、掛かりやすいと学会でも挙げられています。
安定剤が出ますので、暫くは発作が起きないでしょう。」
先生は、最後にこう言いました。
「依頼心が少し・・・・・強い傾向ですね・・・・。」
私は薬局から大量の薬を貰って帰りました。
貰った眠剤を飲むと暫くは眠れました。
でも、朝は憂鬱で仕方なく、仕事も少しの間は休みました。
2度目の診察は1ヶ月後でした。
同じように同じような事を話しました。
3度目の診察も同じでした。
何も変わりませんでした。
私は神経内科に行くのを止めました。
先生に・・・。
「私は病気ではありません。ただ、
この冷たい足を暖めて欲しいだけなんです。」
「御祖父ちゃんの様に・・・・ただ、私を暖めて欲しいだけなんです。」
そう言いたかったけれど、最後まで言葉が見つかりませんでした。
安定剤は持っていました。
何処に行くのにも片時も離さずに居ました。
でも、あの後、一度も服用しませんでした。
発作が起きても大丈夫・・・そう・・・薬は私のお守りでした。
でも・・・・・。
今は捨ててしました。まだ、沢山、持っていたけれど何処か・・・
結婚して子供が産まれる時、
引越しが重なって、その時、行方不明になってしまいました。
もう、薬はいらないと思いました。今も欲しくはありません。
でも・・・・・・・・・。
私を足を暖めてくれると思っていた同居人は、
一度も私の足を触ろうとしませんでした。
「足が冷たくて・・・・・・・・眠れない・・・・・。」
私が言っても、何度、言っても・・・・・・。
「冷たいから・・・・何で、足をくっつけるのよ! !」
そう言って、ただ寝返りを打つだけでした。
あれから随分、時間が経ったような気がします。
今、私はやっと・・・・・・。
私の冷たい足を暖めてくれる人を見つけました・・・・。
彼は私の体が冷たいと・・・。
「すみれ・・・・手も足も冷たいよ?・・・どうして、何時もこんなに冷たいの?
僕の足にくっつけるといいよ・・・・。足が冷たかったら何時でも
僕の足を絡めて眠るといいよ。」と笑って言います。
彼と一緒にいると、足も腕も・・・全部が暖かくて・・・・。
私を何時も陽だまりの中に連れて行ってくれる様な気がします。
あの日・・・何も疑わずに御祖父ちゃんと御祖母ちゃんとズット
一緒に居られると思っていた、あの頃に戻れるような気がします。
私は彼が欲しくて欲しくてたまりません。
今、この瞬間も、靴下を2枚履いてもまだ、冷たい私の足に、
そっと彼の足を絡めたいと、そう思ってしまう程に・・・・。
一生、彼が私の側を離れたりしないで欲しい・・・。
一生、私の他に、その足を誰かの体に絡めないで欲しい・・・。
一生、私だけの彼で居て欲しい・・・。
でも・・・・・・・・・・・。
私がそう思うことで・・・もし、それが現実の物になったとしたら・・・。
私の右手の火傷の跡のように、
誰かの心の中に傷を作ってしまう事になるのかもしれない・・・。
彼の子供にも・・・そして、私の子供にも・・・・。
私みたいな悲しくて寂しい子供が増えないで欲しい・・・・・・。
誰も傷つかないで欲しい・・・・・。
そう思うと・・・・。
又、罪の意識に苛まれてしまいます・・・。
グランド・ファザーコンプレックス・・・・・・・・・・。
御祖父ちゃん?
私は又、誰かに暖めて貰いたくて、
さ迷い続けなくっちゃいけないんでしょうか?
どうか・・・・神様・・・・。
私の心の中の神様・・・・・。
私の罪を御許し給へ・・・・。
私をこの痛みから救い給へ・・・。
<今日の出来事>
彼を無理矢理誘った。
どうしても逢いたいからと・・・・。
「どうしたの?何かあったの?」と心配そうな彼・・・。
そうじゃないんだよ。
折角、仕事の憂鬱から解放されたのにね・・・ごめんね。
余計な心配は掛けたくないんだけれど・・・・。
昨日も今日も・・・・。
日記を見てしまったの・・・。
ある人の日記・・・・。
両親に不倫をされている事を知ってしまった、
素直な人の日記を。
私達・・・・これから、どうなるんだろうね・・・・。
何処に行くんだろうね・・・・。
誰かを傷つけてまで、まだ、行かなくっちゃ行けなのかな?
ゴールなんて見えないね・・・遠すぎて・・・・。
どこら辺にあるのかも、全然、解らないね。
答えが無いって言ったよね・・・・。
でも、ホントに答えが見つからないんだよ。
何処を探しても・・・・・答えがなくて・・・・。
ごめんね・・・ごめんね・・・・。
無意識に無くしてしまったキーは
何時も知らないうちにヒッコリ顔を出して、
良かった・・・こんな所にあったよと時々、嬉しくなったりしたけれど・・・。
そんなに簡単には
この答えは出てこないみたいだよ・・・。
皆、苦しんでるんだね・・・。
誰かが誰かを必要としてて・・・。
ホントに・・・・・素敵な人は・・・・。
何時も人気者だったりするよね・・・・。
彼に最後に問うたけれど。
「すみれと僕との、環境とは又、違うから・・・・
余り感化されないで。」
と、それだけ言ってたよ。
自分が愛して止まない子供の事は何一つ語らなかった。
最近、ギュッとされると涙が止まらなくなる・・・。
私は何が悲しくて泣いているんだろう?
何が不満なんだろう?
こんなに、愛してるのに・・・。
こんなに、愛されているのに・・・。
何でだろう?
何でだろう?
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私の拙い、戯言のような日記を読んでメールしてくださった方々、有難う御座います。
全ての人に返信は出来ないかもしれませんが
、出来るだけ、御返事を差し上げたいと思っています。
ただ、すぐには御返事を出来ない事をご了承下さい。
コンプレックスを持っている事は悪いことでは無いと、
前に読んだ本に書いてありました。
でも、潜在意識の中に組み込まれてしまっている事を
取り除くのは容易ではないとも書いてありました。
3っ子の魂100迄と言いますから、子供の時に受けてしまった打撃は
尚更の事だと思います。
私が思うに、コンプレックスをコンプレックスと思わないで居るのと、
コンプレックスを抱えてしまっている事を自覚している人では
若干の違いがあると思います。
私は自分で無理にそれを取り除こうとはしていませんが、
克服出来るのであれば、克服したいとも思っています。
どちらにしろ・・・・それを引きづりながらも・・・
皆が幸せで居られる事を祈っています。
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