そばがきを読む

2007年02月13日(火) 粋な江戸っ子好みの蕎麦料理

うまいものには目がなくて

森須滋郎
角川春樹事務所
グルメ文庫

粋な江戸っ子好みの蕎麦料理
*浅草並木の藪蕎麦

食べものに限らず、お国自慢というのは、うっかり真にうけると、失望することが多い。
蕎麦も、その最たるもの。よく、どこそこの蕎麦がうまいと聞き、食べに行ってみると、自慢しただげのことはない。たとい、蕎麦そのものはうまくとも、肝心の汁がお粗末で、ガッカリする場合が大半だ。

 ところが、それさえ、「蕎麦汁は、生醤油だっていいので、なまじ出しなどきいていないほうがいいんだ」なんて、お国自慢に結びつけてしまう。そうなると、まるで話が噛み合わない。
だから、蕎麦は東京のがうまい、などといったりすると、とんだ笑い者にされることがある。しかし、東京周辺の住人が、東京の蕎麦が最上だと信じて、どこがおかしいのだろう。いずれ変らぬお国自慢なんだから----。

もともと、田や畠にならない痩せ地で育つ蕎麦は、山間僻地の重要な食糧だった。
だから、その食べ方も、熱湯で練って蕎麦掻きにしたり、手打ちのボソボソした蕎麦切りにするなどして、せいぜい刻み葱か大根下しを薬味にするていどで、生醤油をつけるくらいが精一杯。とても、鰹節の出しで作った汁をつけるなど、及びもしなかった。

その蕎麦が、江戸っ子の嗜好に合った。
粋であることを信条とした江戸っ子は、舌も肥えていた。その鋭い味覚に合わせて、江戸の蕎麦屋は、工夫に工夫を重ねたであろうことは、容易に想像できる。

今も、東京の名代の蕎麦屋では、昔のまま上等の本節を惜しげなく使って汁を作っている。安直な麺を商うために、これほど賛を尽くすのは、東京だけだろう。大阪のうどん屋では、昔から煮干しと雑節しか使わない。地方へ行けば、煮干しだけというところが多いそうだ。
煮干しや雑節も、それはそれなりの旨さは持っている。だが、上品な旨さという点では、明らかに鰹の本節のほうが優れている。
東京でも名代の蕎麦屋へ行って、汁の猪口を鼻に近付けると、プーンと鰹節のいい匂いがする。味だって、鰹の本節と雑節や煮干しとでは、当然のこと値段くらいの開きがある。
それをちゃんと味わい分けて、蕎麦汁のようなものにも、可能な範囲で賛を尽くしたのが東京蕎麦だ。
このへん、江戸っ子の面目躍如、である。

しかし、すでに昭和も半世紀。東京の人口も一千万人となれぼ、自然に殖民地化するのは防ぎようがあるまい。だが、下町のほうには、江戸っ子らしい江戸っ子が、今も残っている。

下町といえば、やはり浅草が中心になる。
だから、かなり変貌したとはいえ、浅草には今もなお、江戸っ子好みのうまいもの屋が、少なからず残っている。

 その一軒、蕎麦屋なら「並木の藪蕎麦」だ。
初代は、神田連雀町の「やぶ」の三男として生まれ、長ずるに及んで独立し、浅草の並木町(現在の雷門二丁目)に「藪蕎麦」の暖簾を掲げた。今の当主の堀田平七郎さんは、二代目にあたる。
 この店では、普通の蕎麦のほかに、予約制で蕎麦料理を出している。これは、趣味人としても優れていた初代・勝三さんが創案し、当主の平七郎さんが現在の内容にまとめたものだという。

 並木の藪へ蕎麦料理を食べに行くのは、何年ぶりのことだろう。
予約して行った。
階下は、土間のテーブル席と、畳敷きの入れこみの席がある。蕎麦料理は、奥の階段を上がった二階の座敷で食べさせる。

 和紙に印刷したパソフレットには、
「お蕎麦はもりそばで召しあがるのが本格で御座いますが、たまには蕎麦料理も如何と存じます。蕎麦料理はソバの実、ソバがき、ソバ切を材料といたしました。弊店独創の準精進料理で御座います。室も給仕もお粗末ですが日頃結構なお料理におあきの皆様にぜひ一度はお批判をお願い致します」
とあり、続いて献立が書いてある。
 蕎麦餅から始まって、蕎麦味噌、下し和え、お碗、蕎麦ずし、山かげ、季節蕎麦、蕎麦切りの八品が出る。お勘定は、一人前二千五百円。

最初の蕎麦餅というのは、蕎麦粉を熱湯で練って掬い取り、黄粉をまぶしたものだから、これはお菓子に属する。先に甘いものを食べると、あとの酒がまずくなると思うなら、蕎麦餅を食後に回してもらえばよい。

ともかく、蕎麦掻きは蕎麦粉百パーセソトで作るものだから、その店でどんな蕎麦粉を使っているかは、これを食べてみればわかるそうだ。
良質の粉に熱湯を入れて掻くと、いかにも蕎麦粉らしい特有の香りが立つ。次に、粘りがあってキチキチと快い音がする。色艶がよく、自然の甘みがあり、歯ごたえもシコシコしている。こういう蕎麦粉を使っていれば、蕎麦切りのうまいことはいうまでもない。
だから、この店で最初に蕎麦餅を出すのは、粉に自信を持っていればこそ、とも受け取れる。

蕎麦屋で一杯、というのは、なかなかいいものだ。小粋にさえ思われる。
だいたい蕎麦屋へ行くのは、満腹するほどに飽食するためでもなければ、酔いつぶれるほどに酒を飲むためでもない。ちよっと一杯やって、ざるを一枚か二枚食べて、あとは家へ帰って本格的に食事をとる、といったところだ。

だから、蕎麦屋では、あんまりボリュウムのあるお摘みを出さない。この蕎麦料理も、例の蕎麦味噌と、蕎麦の実の下し和えを付出しに、一本か二本傾けながら次を待つことになる。

並木の味噌には蕎麦の実が入っていて、神田のは大豆である。
箸の先に味噌をつけ、それを舐めながらチピリチビリ--江戸っ子らしいネ。
下し和えは、蕎麦の実と、この時は木曾福島でとれる"そばいくち"という茸が入っていた。これは年中のものではないから、季節によって菜の花、なめこといったものにかわる。

甘と酸。どっちもチョッピリずつ。いいぐあいにホロッとなったところへ、タイミングよく、吸物と蕎麦ずしが出る。
吸物は、蕎麦の実しんじょの清汁仕立て。さっぱりしていて量も少ない点からいえば、むしろ箸洗いといった役割。
蕎麦ずしは、伊達巻玉子、甘煮の椎茸と干瓢を芯にして、蕎麦切りを浅草海苔で太巻きにしたものだ。一人前が三切れ、例の少しからい蕎麦汁と山葵で食べる。別に酢がきいているわげでもないから、盛り蕎麦の変化と思えばよかろう。
これだって、いい酒の肴になる。

 次は、山かけ。つまり、蕎麦切りの上に、擂った山芋をかけ、チャボ(?)の卵を落とし、山葵と蕎麦の汁を注ぎ入れたものだ。
箸で掻き混ぜて食べる。ツルツルッと喉の通りがいい。これも少量で、酒に合う。

こんどはお膳がかわって、季節の蕎麦。
二月までは、真鴨の鴨南ばんを出していたそうだが、三月は天ぶら蕎麦。つまり、俗にいう天せいろうである。夏に近付くと、これが茶蕎麦にかわるらしい。
このあと鴨南ぱんも食べてみた。鴨と称して合鴨ならいいほう、たいていは鶏で代用させている当節である。ホンモノもホンモノ、真鴨の青頸を使っているのには、思わず目を瞠った。味だって悪かろうはずがない。しかも、一杯が九百五十円という値段。

蕎麦料理の中に組込まれた天ぷら蕎麦は、蒸籠に蕎麦を盛り、天ぷらは別の器で出てくる。むろん、汁は温かい。
また、天ぷらにも一と工夫がある。小海老-芝海老のこともあれば、さいまきを使う
こともあるようだが、ちょうど一と口で食べられる大きさの掻揚げにして三つ、それに青唐芥子が一本ついている。
もちろん胡麻油で、それも揚げたて。

しかし、天せいろうや天ざるを食べるとき、いつも迷ってしまう。
天ぷらを蕎麦と一緒に汁をつけて食べるのか、天ぷらは蕎麦のおかずなのか、または天ぷらが先で蕎麦をあとで食べるべきなのか、よくわからない。ともかく、汁に大根下しだけを入れ、天ぷらが冷めたいうちに食べてしまい、胡麻油が汁に混じったところで蕎麦にとりかかることにしている。こうすると、天ぷらが酒の肴になり、蕎麦で空腹をしのげる。
まさに一挙両得だと思うが、どんなものだろう。

最後は、蕎麦切り。蕎麦切りというのは、蕎麦掻きに対して細く切った蕎麦ーーいわゆる普通の蕎麦のことである。ここでは、盆笊を逆にして盛ってあるから、ざる蕎麦だ。
この店の特徴の一つに、汁の少しからいことが挙げられよう。甘みは薄いが、じゅうぶんに出しがきいている。

落語にも出てくるように、これは昔の江戸っ子の好みだったらしい。蕎麦を五、六本箸で持ち上げて、下の三分の一ほど汁に浸し、ズルズルッと音をたてて食べる---いや、飲みこむ。こうすると、よく蕎麦の香りが味わえる。逆にいえぼ、蕎麦の香りを賞味するためには、汁をたくさんっげてはいけない。そこで、汁をからくしておけば、つける量は少なくてすむわけだ。

並木の藪は、この江戸っ子の好みを忠実に守っている数少ない店の一軒といえよう。

最後は、残った汁の中に晒し葱を足し、湯桶の熱い蕎麦湯を注いで薄めて飲むのも、江戸っ子の昔からの仕来り。

帰りは、順序は逆になるが、観音さまへお詣りでもしようか。



森須滋郎

1915年生まれ。75年より料理季刊誌『四季の
味』の編集長をし、日本全国の名店・名物料理
を紹介。旨いものを知らしめる味の批評家とし
て有名であっただけでなく、自身も家庭では包
丁を握って客をもてなす家庭料理の達人であっ
た。『食卓12か月』『本当は教えたくない味』
『味覚のトレーニング』『味の玉手箱』『料理
上手で食べ上手』など食に関する著作を多数残す。
95年没。

(文庫カバーより)


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