| 2004年01月31日(土) |
散歩のとき何か食べたくなって |
池波正太郎
新潮文庫 P70 藪二店
池波正太郎の小説に、現れる食い物のことは、よく話題になっている。 ここは、食べ歩きとはことなり、自らのいきざまを、食い物と、それを食わせる店を道具立てにして、表現しているといっていい。
さて、この本には、そばについて、語られているのは、この部分だけで、これをどう読んだかというと、そば屋とは、池波正太郎にとって、どういうそんざいであり、江戸っ子にとって、どういう存在であったかを、語った文章という読み方をした。
「外でのむ酒は私の場合、まだ日の落ちぬうちにはじめることになる。・・・となると、のむ場所は、やはり、蕎麦やということになる。」
そして、子供のころの蕎麦やは、
「大人たちは、銭湯の帰りにも、ふところにわずかでも余裕(ゆとり)があれば、かならずといってよいほど、最寄りの蕎麦やへ立ち寄ったものだ。」そうだ。
また、
「男と女が、男と男が待ち合わせる場所も、蕎麦やが便利だった。そして、どこの蕎麦やも、土間の椅子席の向うに、入れこみの畳敷きがあり、一つ一つの席が衝立でしきられてい、蕎麦の香りが店内にたちこめていたものだ。」という。
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