最近またちょっと恋愛についていろいろ考えているけれど、 そういうときにピッタリなのが、
「いくつもの週末」 江國香織 集英社文庫
もう胸に染みる言葉&反省させられる言葉満載のエッセイなのだけれど。
休日ですから(仕事はしてますが)、 ぱらぱらと読み返して、いくつかピックアップしてみました。 (適宜改行を入れました)
◇◇よその女◇◇ よその女になりたい、と、ときどき思う。 よその女というのはつまり、妻ではない女。 (中略) 夫は、よその女のことを別に好きではないだろう。でもいい子だと思っている。 彼女はいつも感じがいいから。よその女だから。 怒ったり泣いたり、夫の欠点を指摘したりしないから。 (中略) 恋愛にまつわる約束はたいてい無意味で、 たとえばほかの人と恋をしないでほしいと言ったところで無駄なのはわかっている。 そういうことになってしまえばなってしまうに決まっているし、 約束なんかのせいでその機会をのがしてほしくもない。
◆◆一人の時間◆◆ 少し距離のある関係の方が”comfortable”で素敵だ、 というふうにしか考えられなかったのに、 いいえ結婚をするのだ、わずらわしいことをひきうけるのだ、ともに現実に塗れて戦うのだ、 と無謀にも思えてしまったあの不思議な歪を、私はいまでも美しいものだったと思っている。 美しくてばかげていて幸福ななにかだった、と。
◇◇自動販売機の缶スープ◇◇ いま思うと、私はなにもかもに疑心暗鬼になっていた。 もともと疑い深い性質なのだ。 それに加えて結婚というのはあらゆる恋人から根拠を奪うので、 どうしたって疑心暗鬼にならざるを得ないのだった。 たとえば一緒に暮らす前ならば、夫が会いにきてくれるととても嬉しかった。 会いにくるということは、私に会いたいのだなとわかったから。 でもいざ一緒に住みはじめると、夫は毎日ここに帰ってくる。 私に会いたくなくても帰ってくるのだ。 そのことが腑に落ちなかった。
◇◇放浪者だったころ◇◇ どうして結婚したのかとよく訊かれるが、私は、自分用の男のひとがほしかったのかもしれない 勿論そのときにそう思ったわけではないけれど、 いま思えば、愛情と混乱と幸福な偶然の果てに自分用の男のひとがほしかった気がするし、 また、誰か用の女でいたいと強く望んだような気もする。
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