CYMA’S MURMUR

2002年09月09日(月)   旅の予習

仕事は忙しいけれど、旅行準備には余念がない。
着々と「予習」をこなしている。

友人は「予習好きだよね」と、
半ば軽蔑も含んだ口調で笑うけれど、
予習があるのとないのとでは、物事の見え方が全然違う。

もちろん予習がないと楽しめないとは言わない。
何の先入観もなしに物事を受け入れるのはそれはそれでいい。

ただ、知識がないと見過ごしてしまうもの、
そういうものを少なくしようと思うだけだ。

とある友人は、
「美術館に行って絵を見ないで説明を読むなんて信じられない」
と言う。

そこに圧倒的な本物の存在感があるのに、
何を説明文で補填しなくてはならないというのか?

でも私は説明文を割と熱心に読むタイプだったりする。
絵を見て、説明文を読んで、もう一度絵を見る。
短い説明文を読んだだけで、見方が変わることも少なからずある。

視覚情報の圧倒的なパワーは誰にとっても明らかだけれど、
私はより言語情報に惹かれるのだ。
それは人間の動物としてのプリミティブなパワーを手放したということなのかもしれないけれど。

こんなことを考えたのは『季節の記憶』(保坂和志)を
読んだからかもしれない。

いやもう、なんとも言えずいい雰囲気の小説なのだ。
主人公の息子のクイちゃんに私はメロメロ。

言葉がなくても思考は可能だし、生きていける。
でも、私はもう言葉から離れることはできないし、
言葉を奪われたら思考までも奪われる。

そんなことを、予習をしながら考えた。




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