うつ病で摂食障害などを抱える看護師。色々あるけど、生きて行くのだ!

2002年06月16日(日) 義父のお見舞い

義父が脳梗塞で倒れたと聞いたのは、約10日前。
 
 金曜の夜主人の実家、横須賀に行った。一生は、,外に出ることを嫌がり、3ヶ月以上外に出ていないので、横須賀に行くことは無理だろうと主人は思っていたようだ。でも、私は義父の状態があまりよくないことなどを伝え、今のうちに会っておいた方がいいことを説明しておいた。なんとなく一生は行くのではないか、という予感がしていた。私の母も主人も二葉も「一生君は行かないんでしょ?」と言っていたが、私だけは「まだわからない」と言い続けていた。そしてそのうち一生が横須賀に行くつもりであることにみんなが気づき始めた。

 外に出るまでが大変だった。一生は怯えたような顔つきで、靴をはき、ゆっくりと玄関を出た。

横須賀に行ってから、翌日義父の面会に行く段階になると、やはり一生は頭を抱えてしまった。義母は、
「ここまでがんばって来てくれただけでもありがたいよ、無理しなくていいから」と言ってくれたので一生は実家に残ることになった。
 義父は、私や二葉のことはわかるような感じだった。義母が言うには、前日よりも表情がいいとのこと。脳梗塞のため、右側は完全に麻痺していて全く動かす事ができない。意思の疎通を図ることは今の段階ではむずかしい。

 翌日、もう一度面会に行く時に、一生はかなり迷っていたようだ。私は、充分な時間を与えようと思った。「行かなくていいよ」と言って、私達が行ってしまったら、一生は後悔するかもしれない。
「行きたい。でも外に出られない」
と一生は繰り返した。私は一度も「行こう」とは言わなかった。30分以上そうした後で、「そうだ小さい頃靴下がはけなくてぐずっていた事があったよね。一生は靴下がはけないのか」と冗談を言ってはかせようとすると、自分で靴下をはいて立ち上がった。
 そして車に乗り、一生は震えるような怯えたような状態のまま、義父の病室へ。その日も、私達や一生のことをちゃんとわかったようだった。ただ、それを伝える手段が義父にはなかった。主人が顔を見せた時、義母が「おまえ、もっと痩せなきゃダメだよ、って今日は言わないの?」と言うと、確かに義父は笑った。主人はそれがジーンと来たようだった。家に戻って、義母から一枚の写真を渡された。「もうこんなに元気な姿で写真撮ることは無いと思うから」と言われ、なんとも言えない気持ちになった。


 義母は「悩まない」と言った。「あれこれ考えていてもしょうがないから。水曜日は山に行って来る、ストレス解消にね」と。とても強い人だと思った。

 今の私達にできることは何もなくて歯がゆかったので、携帯を買って持って行った。もちろん、電話代も主人が払う。

 今日は、私が食事を作っておいて、帰ってからみんなで食べた。食事らしい食事を作ったのは初めてだった。それをお義父さんに食べさせてあげられないことが残念でならない。





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