*Fine Diary*
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性懲りも無く十六夜記をちょこっとだけやりました。
今日は知盛ルートで見損ねていた、時子と清盛の会話と頼朝、政子の会話、忠度さんとヒノエくんの会話です。
時子と清盛・・・見た目年齢差があるにもかかわらず、ラブラブなのですね。おばあちゃんの時子を幼体の清盛が変わらず愛している様子が微笑ましい・・・
そして、頼朝とダキニin政子もなんだか夫婦してるのね。ってか、頼朝、マジでダキニin政子を気に入ってるのか!?と初めて認識しました。
この二組の夫婦のエピソードを見てあの和議のときの騒ぎに到る成り行きがわかったという感じです。清盛は平家のために頼朝だけは打っておこうと思うし、政子は愛する頼朝だけは護ろうと決心していた・・・みたいな。 十六夜記は遙か3のいろんなシーンを補完しているのだなぁ・・・
結局、なんというか根っからのワルモノっていないのが嬉しかったり。 みんなそれぞれの立場で何かを護るためや何かを成し遂げるためにいろんな手段を使った結果がこのゲームなのだと・・・まぁ遙か1の時代からアクラムにはアクラムの考えややり方があったのと同じなんですけど。 そういう当たり前のことが遙かの魅力なのかもしれません。勧善懲悪ではないところが。
あ、そだそだ。忠度さんとヒノエの叔父甥の会話はすごく温かかったです。 熊野の男っていいなぁ・・・どこいったんだろうなぁ・・・昔散々熊野の男が周りにいたはずなんだけど(笑)私、あっち出身なもんで。幼馴染は皆、熊野の男なんですけどー。 あ、でも優しい子が多かったかもしれない。 やんちゃな子でも女の子のことは助けてくれる子が多かった気がする。 男気のようなものがありましたね。うん。
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熊野詣や水軍のことを少々調べていてぶちあったたのですけれど、神子たちが通ったという大辺路。某町Aというところは渡しのあったところで我が祖母の実家があったところです。苗字はNといいますが氏(うじ)は藤原ということになります。
大辺路の要所にあった藤原系統の家。しかもその地域の寺を建立した一族と言うことで、もしやと思って調べてみたのですが、どうやら熊野水軍とも関係があった一族の端くれ・・だったようです。
といいますのは『紀州小山氏』というのがありまして、(わが祖母のご先祖さまも●●小山●●●●藤原●●という名前ですので)熊野一帯に分布していたようです。
*赤は苗字、小山は姓、青色が名前で、藤原が氏、ピンクが諱(いみな)になるのかな・・・現在祖母の実家が名乗っているのは赤の部分苗字です。
小山氏については在地武士だったという説アリ、下野小山氏の流れ、はたまた藤原姓から見て熊野別当氏族という説もあるそうです。
私的には、熊野別当説だとちょっと嬉しいのですが(ミーハーだ)たしか祖母のほうの親戚のおじさんが何でも祖先は関東からきたらしいというのを子供の頃聴いたことがあるので、もしかしたら鎌倉幕府に仕えていた下野小山氏の流れなのかも・・・でも藤原なので、結局よくわかりません(そういえば屋敷の一角に八幡様を祀ってる祠があるっていってたけどーってことは・・・源氏? 旧い祠ですが勾玉や鏡が残っているそうです)
ただ、小山氏は鎌倉期が全盛期(おい!)で、水軍の中で力があったものの南北朝、戦国時代を経て、信長、秀吉に仕え、関が原では西軍の味方をし浪人となり、大阪城落城と共に帰農したとありますので(流れが二つありますが両家とも大阪側でした)たぶん、その一族の誰かがA町で帰農し、祖母の実家になったということみたいです。江戸初期にはっきり武士と農民とに別れるまではその境界線はかなり曖昧だったようですね。
祖母の一族は比較的すらりと背が高く、割と整った容貌の人が多かったように思います。 なんか田舎にはそぐわない感じがしました・・・ でも残念ながら祖父の家は背が低く、がっしりタイプの人が多いみたいで・・・●●家の血が四分の一入ってるはずの私ですが、祖父の血が勝ったらしく、小柄で、美人とは程遠いのでした・・とてもザンネンです(;;)
まぁ遙か3から自分のルーツの一端に触れることが出来たということで(苦笑)
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