いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2015年03月21日(土) ご報告:原点に戻る決断

 平成24年12月に区議会議員を辞して衆議院選挙に出馬をし、民主党現職を抜き44,999票で次点にまで押し上げていただいた。しかし、昨年末の総選挙では、共産党候補よりしたの4位(20,108票)に下がってしまった。直前に日本維新の会から、石原慎太郎氏グループが次世代の党へ分党したことが惨敗の原因だろうとも思う。

 また、街では「いぬぶしは政党を変わりすぎる」というお叱りもいただいた。しかし、以下のように、私が政党を「変えた事」は一度だけで、他は政党が勝手に「変わった」のだ。

(いぬぶしの政党歴)

H11〜H15 自由党 H15〜H21小沢一郎氏が民主党への合流を決定。私は、日教組や自治労等が支援する政党には移れないと、一人で自由党を名乗る。

H22 平沼赳夫氏が石原慎太郎氏を応援団長として設立した「たちあがれ日本」に入党。

H24 たちあがれ日本が「太陽の党」と改称。さらに終日後、「日本維新の会」と合流。

H26 日本維新の会が分党。橋下グループは維新の党。石原グループは「次世代の党」へ。


 そして、1月には次期衆議院公認候補予定者としての「選挙区支部長」に再任され、次の総選挙を目指して活動を再開したばかりだった。ところが、3月初旬の党大会前に、松沢成文幹事長(元神奈川県知事)から「いつまでも浪人をさせられない。春の戦いに出てくれないか」との問いかけがあった。

 予想外の要請に、大変戸惑い、地元の後援会幹部の方々にご参集いただき、ご意見をうかがったところ、全員が幹事長の要請に「異議なく賛成!」というではないか。

 議員は、自分だけではバッチをつけることは出来ない。有権者の方々や政党の支援が不可欠だから、その方々の意見は重視しなければならない。区議4期の間、区役所や区立学校の無駄やインチキを相当改善したという自負もある。

 しかし、区議会議員では解決できない問題に挑む為、国政を目指したはずが「再登板するのか?」と、自問自答の日々が続いた。私自身の、自民等候補の現職に対するプライドも再登板への決断を遅らせた。

 国政を目指した者が、区市町村議員に戻る例は稀だ。悩んだ!迷った!悩み悩んだ末「人の為に働く」ということでは、国会議員も区議会議員も同じである、と「原点に戻る」決意をしたので、ここにご報告申し上げる。

 党首である平沼赳夫衆議院議員からは「必ず国政に来て欲しい」との言葉を頂き、原点に戻りつつも、国政を見据えて幅広い活動を展開していく覚悟を強くした。

 区議会、区職員や区立学校にとっては、極めて迷惑な決断だと思う。様々な誹謗中傷を受けることは覚悟だ。笑われるかもしれない。しかし、私は15歳の時に、自衛隊生徒として任官した時の「自衛官の服務の宣誓」の文章を心の支えに、これからも「身をもって責務の完遂に務め」「もって人々の負託」に応えて行く。

(自衛官 服務の宣誓)

宣 誓

 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法 及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。



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