いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2014年01月01日(水) 新年あけましておめでとうございます

昨年中は大変お世話になりありがとうございました。
義父の喪中でもありますが、想いをお伝えすべく筆を取りました。

昨年は総選挙の敗戦処理に3月頃まで忙殺をされましたが、なんとか終わったところへ、中山恭子参議院議員より「選挙を手伝って欲しい」旨の要請がありました。「たちあがれ日本」の時代から、お世話になっていた方でしたので、ボランテイアのつもりで快諾をいたしましたが「無償という訳にはいかないので、公設第一秘書で」というありがたい申し出を頂きました。

4月16日から正式に公設第一秘書と選挙対策本部選対事務局長の肩書を頂戴し、全国をご一緒する毎日が始まりました。地方選挙や衆議院、参議院地方区の応援経験はありましたが、全国区の責任者は初めての経験で、その「戦場の広さ」には驚きました。まさに、太平洋でメダカを釣るような選挙です。

ポスター印刷、宣伝カー手配、立候補届け出、スケジュール調整など、ほとんど一人で対応しましたが、今まで同じことを、自分の支援者の方がやって下さっていたのか、と感謝しながらの戦いでした。
おかげさまで、306,431票で中山恭子参議院議員2期目の当選を果たすことが出来、ミッション終了と思っていましたら、議員本人から「もう少しいてください」とのお言葉を頂き、選挙終了後暫し、公設秘書として留まることにいたしました。

しかし、永田町と蒲田、さらには企業活動と三足の草鞋を履くことは、自分にとっても、また、それぞれの場で働く方々にもご迷惑をおかけすることが感じられましたので、10月末日をもって、公設秘書を辞することにいたしました。

半年の短い間でしたが、国会を身近に感ずることができたのは、大変良い経験でしたし、普段は到底お会いできない方々とも親しくお話をすることができたことは、ありがたいことでした。

常に戦い続けていた私にとって、中山恭子議員の「戦ったことはありません」という「強さ」は、驚きでした。正面きって戦うのではなく、相手の懐に入り、あの優雅な口調で話すという高等戦術は、到底私のような者にはマネの出来ないことですが、その一部でも取り入れたいと、学びの日々でもありました。

政党人としては、一昨年の衆議院選挙落選により、東京都第4選挙区支部長を解任されていましたが、3月31日の党大会の場で、23区唯一人の支部長(現在は3名)として再任をされました。支部長に再任されますと、次期衆議院選挙の公認候補予定者と見なされ、僅かですが毎月政党交付金からの経費補てんがなされます。

また、多くの方から生活のご心配を頂いておりますが、22歳より経営者として歩んでまいりましたので、現在も会社経営に関わっており、なんとか暮らしの目途はたっておりますので、ご安心ください。

ただ、区議会議員として13年間「公の場」で発言を続けてまいりましたので、発言の場のない浪人生活は、欲求不満が溜まります。地元の忘年会などで「今一度区議会議員にでないのか」とのご質問を頂きますが、私は「バッチが欲しくて」立候補した訳ではありませんので、こっちがダメなら又元へ、という生き方をすることは出来ません。

衆議院議員選挙落選については、様々な慰めの言葉を頂きます。維新がどうの、石原共同代表が…、橋下共同代表が…、比例順位が…など、負けの要因が他にあるような言葉を多く頂戴しました。そういう一面もあったのかもしれませんが、選挙はすべて自己責任だと思っております。園田幹事長(当時)から、衆議院選挙出馬の打診を受け、受諾したのは私自身の判断ですし、地元で選挙を戦ったのも私自身ですから、その結果は、すべて私の責任であります。

また、第三位6,363票を頂戴した区議会議員としての職務を任期一杯出来なかったことは、有権者の皆さまにお詫びしなければなりません。
さらには、44,999票もの得票を頂きながら、そのすべてを死に票としてしまったことは、なんとも申し訳ない気持ちでいっぱいです。

今年は、野党再編の動きが再燃しそうな状況であります。「対自民党」という選挙のための再編ではない、国家国民の為に、さらには「大義」を忘れない政党が出来ることを願ってやみません。

私自身は、再編がどうなれ、来るべく戦いに捲土重来を果たすべく粛々と準備をすすめてまいる所存でございます。

ポット出の社会経験の乏しい若い議員、世襲や官僚出身などが多く、必死に生きているエリートではない「フツー」の人々の感覚を代弁する政治家が少ないのが永田町です。そして、政策を執行する官僚も「負け」を知らない「受験勉強いい子ちゃん」達が少なくありません。そんな、国の政策決定の中に「一人ぐらいこんなヤツが必要だ」と自負しております。

月末の中小企業の資金繰りの苦しさ、水道、ガス、電気代も払えない貧困、両親のいない寂しさ、徹夜でレーダーサイトで日本の空を護る辛さ等、それらをすべて実体験した私だから、わかることがある、訴えられることがある、そう信じて今年一年、また全力疾走で走り抜いてしてまいります。
どうか、かわらぬご支援、ご叱責を伏してお願いするものでございます。

皇紀2674年(平成26年)元旦

犬伏秀一


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