2013年06月30日(日) |
不思議なインドネシアからの機内での読書 |
私は、様々な不思議な出会いを経験している。なぜ、この時にこの人とここで会うか、なぜ、この瞬間にこの本に出会ったのか、様々な出会いが私の人生を支えて頂いている、と言っても過言ではないだろう。
私は海外に出かける際、必ず本を持参する。それは、長い機内で無駄に時間を潰すのが嫌なこと、また、日課である朝刊の全ページを読破することが出来ない代わりに、といった理由だ。持参する本の基準は特にない。その時、書棚で目についたものを持参する。
ずいぶん前に、ニューヨークに出かけて、ウオール街近くのトリニテイ教会に足を踏み入れた。観光客気分で入ったその教会には、聖母マリアのステンドグラスがあり、昼休みの多くのビジネスエリート達が祈りを捧げていた。観光で訪れる場ではないと察知したが、彼らにならって頭を垂れたのだ。すると、不思議にも私の眼から涙が流れたのだ、なぜ?
ホテルに戻って、マックを食べながら日本から持参した本を読みだして驚愕した。敬けんなクリスチャンである遠藤周作氏の本だった。そこには、対談ふうに、このように書かれていた。(記憶なので記述は趣旨)
遠藤先生はクリスチャンですね。神とはどのようなものですか?
遠藤:神とは玉ねぎとかピーマンとか(犬伏注:野菜かどうかは忘れたが)のように形のあるものではありません。皆さんの周りで不思議なことがあるでしょう。それが神なのです。神は存在ではありません。働きなのです。
今、トリニテイ教会に立ち入った私に、神は涙を流させ、偶然を装い、遠藤氏の本を通して、「さきほどの涙が、私、神なのだ」と、示されたと思った。私はクリスチャンではない。が、我々を超越したSomething Greatの存在を、この日から確信するようになったのだ。
そして、今日もそうだった。インドネシアで研修中の友人らを残し、参議院選挙準備の為、単独で帰国をするガルーダインドネシア航空の機内。いつものように、日本から持参した単行本を開いた。
それは、6月17日に中山恭子参議院議員と共に訪れた佐渡で出会った、ジェンキンスさん(拉致被害者、曽我ひとみさんの夫)が書いた「告白(角川書店)」という本だ。ご本人が勤務する土産物屋さんで売っていたので、ジェンキンスさんから購入しサインまでしていただいたものだ。
事務所の本棚に置いたまま、読んでなかったので今回持参した。ページをめくるたびに涙が溢れてきた。一人の気の弱い陸軍軍曹の人生を、また、若い日本人女性の人生を、さらには、その娘たちの人生を、これほど過酷なものにした北朝鮮という国家への憎悪と、彼らに対して何も出来なかったことに対する涙だ。
読み進めていくうちに、先に帰国した曽我ひとみさんと、北朝鮮に残ったジェンキンスさん、二人の娘さんが再会したのがインドネシアだったことを改めて想い出した。インドネシアのホテル滞在中、米国で訴追されること、k北に戻ろうと言う長女、日本に行こうと願う妻、様々な想いと葛藤するジェンキンスさんの自伝は、迫力がありすぎ圧倒されてしまった。
そして、気付いたのだ。その葛藤の末、彼は家族そろって帰国する途を選択し、今、私が飛んでいる航路を通って日本に向かったに違いない。その航路上で、この本を読んだのは、偶然ではあるまい、と思うのだ。そんなの、こじつけだ、と考える人は哀れである。例えそうであっても、偶然ではない、と考えるほうが楽しいではないか。
この必然を胸に、拉致問題解決のために、私の出来ることを模索していこうと決意した機内での感動だった。さあ、元拉致問題担当大臣中山恭子参議院議員、夏の陣が始まる。各々方、心して戦おうではないか!
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