2012年03月27日(火) |
大田区予算、渋々賛成討論 |
本日の討論のトリと務めます、たちあがれ日本の犬伏秀一でございます。 私は、ただいま上程されました第1号議案平成24年度大田区一般会計予算、および第2号から4号に至る各特別会計予算に、渋々賛成の立場から討論をいたします。
平成24年度一般会計予算歳出合計は、2264億4779万1千円と、対前年予算比マイナス2%と厳しい財政状況を反映しているかのように映りますが、平成22年度決算確定額で比較しますと104%、すなわち4%の増額となっているのです。
しかし、世の中では、どこでも緊縮財政が叫ばれ、あらゆる事業の削減が「理念なき」民主党政権によりすすめられているのです。
私ごとですが、昨年3月11日の東日本大震災発災以来、被災地に4回、延べ10日間滞在いたしました。そこで、私自身の考え方にいささかの大きな転換が訪れたのです。それは、東京都医療救護班の一員として、気仙沼市、陸前高田市の避難所を巡回した時のことであります。あまりの悲惨な光景に、言葉に表せないほどの焦燥感の中、涙をこらえながら共に働いた都立病院の医師、看護師、東京都職員らの懸命な姿を見続けてまいりました。早朝から夜間に及ぶ厳しい勤務条件、無論残業手当など望むべくもありません。 さらには、東京都が管理調整を行っていた気仙沼市保健福祉課に設けられた救護班に、全国から公立病院、大学病院のスタッフが毎日到着いたしました。 私は、公立病院は民間に比べて赤字体質であるあるから、効率化すべし、との立場を永年貫いてまいりました。また、地方自治体職員も徹底して削減すべし、との考えでもありました。すなわち「小さな政府」のミッションであります。 しかし、全国公立病院の医療スタッフの献身的な被災地支援の姿に接し、そして彼らと共に働いた時間を顧みるときに、公立病院だからこそ、被災地に人を出せたと痛感したのです。さらには、被災地の宿泊場所で、偶然、見慣れた大田区の腕章をした防災服の区職員に出会った時には、懐かしさと共に、なんとも表現できない頼もしさを感じたのです。 地方自治体職員のあり方、公立病院医療職員の効率化について、改めて考えるべきであると痛感したのです。 いま、日本中が削減、削減、公共投資.は激減しております。私は、この被災地の経験を踏まえ、今日、我が国のこのような状況に警鐘を鳴らしておきたいと思います。 それは、バブル崩壊以降、我が国が行ってきた規制緩和や公共投資抑制が、実はデフレ対策ではなく、インフレ対策の手法であったことであります。いま我が国は未曽有のデフレ状態にあります。デフレとは、供給過多で需要が少ない状態であります。そこで、規制を緩和すれば、供給は益々増え、デフレが促進されるのは誰でもわかるはずでした。 また、デフレでは民間企業の投資意欲は抑制され、結果、銀行には金が余ることになります。そこで、橋本内閣以降、公共工事を大幅に削減し、民主党政権になり「コンクリートから人へ」という意味不明の合言葉でさらに公共投資を削減したことは、バカも休み休み言えと申し上げたいのです。 すなわち、民間の需要つまり投資意欲がないデフレ状況下では、供給過多と需要のアンバランスを埋めることが重要であると、かのケインズ先生もおっしゃっているのです。しかるに、この差を埋め、需要と供給のアンバランスを是正するのが公共投資であるはずでした。 まるで、公共投資は悪のような論調が民主党政権下だけでなく、バブル崩壊後の自民党政権下でも行われていたことが我が国の不幸でした。 大恐慌を乗り越えた米国ルーズベルト大統領の財政アドバイザーであったマリーナ・エクルズしかり、我が国を大恐慌から救った高橋是清しかり、彼らの取った政策は積極公共投資でありました。 エクルズが残した名言があります。 「戦争から人命を守るために使われると同じ政府債務が、平時においては失意と絶望から人命を守るために使われるのである。戦争を戦うために政府の能力には制限がないのと同様に恐慌と戦う政府の能力にも制限がない。」 いま、我が国は、震災と放射能、デフレという三重の「恐慌」に見舞われています。この恐慌を克服するには、規制緩和や、公共投資抑制ではなく、規制強化で供給を抑え、需要の不足分を公共投資で賄う必要があるのです。TPP等論外であります。 また、公務員給与を復興財源として削減するのではなく、削減した分を民間雇用の拡大にあてるべきなのです。 不足する財源は、国債をあて金余りの銀行に引き受けさせればいい話です。たかだか、1兆9000億円ぐらいの復興資金では話になりません。大胆な復興に対する公共投資こそが、デフレ脱却の王道であると私は信じています。 その意味で誤解を恐れずに言うならば、被災地支援には、いくらでも湯水のように税金を使えと声高々に訴えたいと思います。 さて、前置きが長くなりましたが、平成24年度予算に関連していくつか意見を申し述べたいと思います。 私は、再三大田区の建築、機械設備、電気、解体、工事などは談合の疑いがある、と指摘してまいりました。何度行っても最安値の業者が変わらない「最安値不変の原則」、大田区予定価格の99%などという落札価格、また、ほぼ区予定価格で契約出来る不落随意契約の多さなどが、その証左であるとも述べてまいりました。私のもとには、入札のたびに毎回のように談合情報が寄せられてまいります。ところが、大田区執行部は毎回「適正な競争が行われている」と言い張ってきました。 ところが、ついにマスコミが書いてくれたのです。読売新聞が大田区の入札がおかしい、3月24日の都民版で書いてくれました。私は、デフレの今日、公共投資はドンドンやれ、と申し上げています。しかし、それが一部の業界の仲良しクラブの間だけでお金が回っていてはだめなのです。適正な価格での競争の結果、大田区予定価格を下回ったら、談合や入札に参加すらできない、多くの中小零細業者に対して、発注をすることこそがデフレ対策になるのです。談合対策を徹底して行った先進的自治体では、談合組織である業界団体が解散に追い込まれ、余った予算を「赤紙発注」と呼ばれる小規模随意契約で小さな業者に出していると聞きます。大田区では、入札監視の外部委員会を設置されるとのこと、大変結構な取り組みですが、そのことにより、逆に公共投資が抑制されることのないよう要望しておきたいのです。 また、従前のチマチマした「お役人発想」の小手先の街づくりや、公共投資ではなく、大胆な仕組みの変換が望まれています。羽田空港を含む経済特区には、いまひとつ迫力がかけており、具体的なビジョンすら何度説明を受けても見えてきません。 一地方自治体であっても、デフレ脱却の一翼を担っているのですから、経済波及効果の高い仕組みを作らなければなりません。民間の投資意欲を引き出せるのなら、あえて公共投資に走る必要もありません。民間投資の先導役に徹することも重要なのです。 その意味からは、羽田空港跡地や平和島にラスベガスのような、世界からお金と投資が集まるような発想も必要なのではないでしょうか。 金が回れば、経済は好転するのです。物づくりもデフレから脱却すれば、復活するのです。 「防災船着き場」と偽って「観光船着き場」を作るようなチマチマとした新規事業ではない、大きな発想の転換を期待したいものです。大田区はNHKのドラマ「梅ちゃん先生」には大いなる期待を持たれているようですが、このドラマが大田区の観光政策の目玉というのも笑えます。街の景観を汚すセンスのないノボリが象徴的です。 次に、松原区長のかかげる「国際化」「国際都市」政策につき、苦言を呈しておきたいと思います。何度も申し上げておりますが、国際化とは外国語が話せることでも、ナイフとフオークが使える事でもありません。国際化とは、国際人とは、自国の歴史文化に誇りを持ち、それを外国人に的確に説明出来る事、他国の文化との違いを理解できること、だと思っています。 私は、以前、偶然にも北朝鮮籍の方と懇談をする機会がありました。ところが、会話中に私の携帯の着信音が鳴ったのです。あわてました。なぜなら、私の長女が着信音に国歌「君が代」をいれていたからです。さらには、待ち受け画面は日の丸でした。いくら私でも、相手の立場にたったのです。ところが、驚くべきことに彼はこう言いました。「すばらしい!私は多くの日本人と交流があるが、君が代を着メロにしている人は初めてだ。自国を愛することは大切だ。」と。このような自国に誇りを持つという国際常識を忘れた国際化等あり得ません。 我が国を非難する講師を区民大学の講師に迎えたり、教育基本法を改悪だと言って憚らない大学教授を教育委員会が税金で招聘する等、正気の沙汰とは思えません。 また、人道的といいながら、児童生徒の保護者に渡っている確認もせずに、朝鮮総連の活動拠点の朝鮮学校に大田区が900万円にも上る補助金を税金で交付していることは断じて許すことはできません。そのことが、まさか、松原区長が区議時代に訪朝し、金日成にパソコンを贈った頃から継続している感覚だとすれば、いますぐに改めていただかなければなりません。補助金を出すなら、我が国の主権を侵して拉致した、横田めぐみさんをはじめとする日本人を、即刻帰国させろ、と訴え、その実現までは交付を見送るべきが、真の国際都市大田区役所であり、大田区長の責務であります。ただ、相手に諂うことは、決して相手の尊敬を得ることはできません。 次に、議会改革について申し上げます。 私は、大学院において「地方議会は機能していない」との仮説から修士論文を書き始めました。しかしながら、体験的に「機能していない」ことは実感していても、「普遍的に実証する」という社会科学の要請に応えることができず、この仮説はとん挫してしまいました。 では、機能している議会とは何か、なぜ、大田区議会には「与党」などという二元代表制では想定していない言葉が、いまだ活きているのか、と発想をかえ、議員になりたてのころ「無駄遣いの象徴」であると思っていた、「大田区議会史」を紐解いてみました。すると、昭和22年から26年にかけての大田区議会は、なんと輝いていたのでしょうか。びっくりいたしました。今を考えるとき、歴史を顧みる事の大切さを痛感いたしました。昭和22年からは区内18特別出張所において、「区民の声を聴く会」を議会が主催して開催しているのです。昭和26年の記録によれば、参加区民は600名を超え、質問件数は180件にものぼったそうです。このような取り組みは、昨今の議会改革先進自治体ですすめられているもので、大田区議会が創成期の昭和22年に行っていたことは驚きでした。 今次の長い予算委員会、本会議での質問原稿と答弁原稿のやり取りを、新人議員の皆さんは、どのように感じられたでしょうか。あの阿久根市の元市長竹原さんはブログのなかで「市民の皆さんは議会で議論をしていると思っている。議会には議論はない。議員が3回質問するだけだ。」と、地方議会を酷評していました。はたして、大田区議会はこの予算委員会において議論をしたでしょうか。大朗読大会になっていなかったでしょうか。 常任委員会、特別委員会でも同様です。理事者のミスや間違いを指摘するだけの、大質問委員会になっていないでしょうか。 議会、とくに住民と最も近い基礎的自治体の議会は、多様な住民の意見を集約し、合議すべき場所であります。その議会が、議論をしないで、質問だけで終わり、予算委員会では「○○を要望します」、「我が会派が要望した○○が予算化された」などの言葉が多様される、陳情受付型でいいのでありましょうか。 議会は首長の「諮問機関」ではありません。そして「お役人の住民に対する言い訳機関」でもありません。意思決定機関であることを、あらためてこの場で確認して、私の渋々の賛成討論といたします。
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