いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2012年01月18日(水) 国家公安委員長いつも通り「しゃぶしゃぶ屋」に来る

 私が区議会議員になったきっかけは、松原仁衆議院議員との出会いからである。それが良かったのか悪かったのか、判断するのは私ではなく、区民であり私の家族だろう。

 初めて松原代議士に出会ったのは、昭和の終わりだったと思う。大田区内で行われた自衛隊の宴会で、遅れて参加したところ彼の隣りの席だけが空いていた。そこに着席すると、彼が名刺を出してきた。曰く「じん、じん、じん、じん松原仁です」と。「ああ、都議に落選した松原さんですね」と、失礼な受け答えをしたのを覚えている。

 当時、彼は松下政経塾を卒塾し、無所属で大田区から都議会議員に立候補、惜敗した身であった。昭和31年の申年で同じ年。私が当時会員だった東京商工会議所大田支部に在籍している等、親近感がわき、以来、後援会員として応援をさせて頂いていた。

 彼はその後、都議に当選し国政を目指して活動をされていた。ある日「小沢一郎さんの新生党に入り大田支部を作るから結成大会に来てくれ」と、お誘いを受けた。

 区内の結婚式場で行なわれた支部結成大会には小沢一郎氏も来賓として出席され「新生党大田区議会議員公認候補者」が登壇し紹介された。確か6名ぐらいだったろう。挨拶を聞くと、なんとも頼りないメンバーだ。「松原さん、小沢さんというのは、もっと迫力がある人だろう。あんな候補者では頼りない」と耳打ちしたのだ。

 すると、翌日から松原さんの「立候補攻勢」が始まったのだ。「犬伏さん出ろ」と。さすがにサービス業の経営に携わっていた私は固辞を続けた。さまざまな政治思想を持った方々がお客様だった。その経営者が、政治色を出すべきではない、という当たり前の結論だったが、松原氏はあきれまなかった。

 結局、受諾したのだが、選挙前に新生党は解党し新進党となり、私は落選。その新進党も解党し、小沢氏は自由党。松原氏は民主党に移籍をした。私は、航空自衛隊出身の大先輩の参議院議員が自由党に移ったこと、また、当時の自由党こそが「保守本流」であると信じていたことなどから、自由党を選択し、自由党公認候補として平成11年に初当選をした。

 以上のような経緯から、良かったのか悪かったのか、松原仁衆議院議員は、私にとって「職親」とも言える存在なのだ。その彼が、民主党内の権力抗争のなか、4期生でありながら無役なのは哀れだな、と内心同情していたのだが、ついに花が開いたのだ。

 野田改造内閣で、国家公安委員長兼拉致問題担当大臣という要職に抜擢されたのだ。民主党は大嫌いであるが、松原氏の大臣就任は喜ばしいことだと思う。

 さて、その渦中の大臣がなんと本日、大森のしゃぶしゃぶ屋に現れたのだから驚きである。平成6年、私が新生党公認になった時、松原氏から「面白い経営者の会があるから行ってみたら」と紹介された、区内中小企業者団体の新年会の会場だ。


 松原氏は都議当選以来、この会の会員で国会議員になってからも新年会や節目の会合には必ず参加されていた、が、まあ今回は大臣だし無理だろうと誰しも思っていた。そこへ、突如の来訪に会場は歓喜の嵐だった。

 ハイチPKOに出発する我が愚息が、陸上幕僚長(陸自のトップ)を前にして緊張して「頑張ってきます!」と答えたところ幕僚長は「頑張らなくていい、いつも通りやれ」と励まして下さった。

 どんな状況でも、どんな立場でも「いつも通り」すること、それが出来るか出来ないかでその人の器量がわかる。

 松原大臣は、ほんの5分程度の滞在だったが、よくぞ来られた。

 祝 大臣ご就任!


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