いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2011年09月05日(月) ますます左傾化!日教組が中枢に@野田内閣

 「日教組こそ教育のガンだ!」きわめて正しいことを発言して大臣を辞任されたのは、我がたちあがれ日本所属の中山成彬元衆議院議員である。

 あらたにあ発足した野田政権。「A級戦犯は存在しない」「靖国参拝」などの発言、さらには父上が、陸自の精鋭部隊である第一空挺団(習志野)に勤務されていた自衛官だという点などから、密かに期待していたが、所詮「民主党左翼内閣」であった。

 臨時閣議では、な、なんと「教育のガン」である日教組出身議員を政権中枢の政務官に任命してしまったのだ。以下、産経新聞の報道である。

産経新聞 9月5日(月)22時45分配信

政府は5日の臨時閣議で野田内閣発足に伴う各府省の副大臣などの人事を決定したが、日本教職員組合(日教組)出身の神本美恵子と水岡俊一両参院議員を、文部科学政務官と首相補佐官にそれぞれ起用する異例の人事を行った。同じく日教組出身の輿石東(あずま)幹事長兼参院議員会長に配慮した形だが、野田政権で文部行政に日教組がさらに介入する懸念が出てきた。

日教組出身者の文部行政への関与は、平成7年の村山内閣当時に、佐藤泰介氏が文部政務次官に就任して以来とされる。

神本美恵子参議院議員(HPから)
最終学歴 福岡教育大学教育学部卒業
1970年4月 横浜市立下野谷小学校
1973年4月 福岡県大野城市立大利小学校
1979年4月 福岡県春日市立大谷小学校
1983年4月 福岡県大野城市立大野東小学校
1988年4月 福岡県春日市立春日小学校
1991年4月 福岡県筑紫野市立二日市東小学校
1991年6月 福岡県教職員組合組織部執行委員・女性部長

1991年6月 連合福岡女性委員会副委員長
1992年3月 連合福岡女性委員会事務局長
1994年11月 連合福岡女性委員会委員長
1995年12月 連合福岡女性委員会副委員長

1996年4月 日本教職員組合中央執行委員教育文化部長
1998年4月 日本教職員組合中央執行委員教育改革推進部長
2000年4月 日本教職員組合中央執行委員教育文化局長
2001年7月 第19回参議院通常選挙にて初当選
2007年7月 第21回参議院通常選挙にて当選(2期目)
2011年9月 文部科学大臣政務官

参議院 文教科学委員会・筆頭理事
行政監視委員会・委員
政府開発援助等に関する特別委員会・委員
共生社会・地域活性化に関する調査会
民主党 参議院比例区第31総支部・代表
主な議員連盟役員 インクルーシブ教育を推進する議員連盟・事務局長
子どもの貧困問題を考える民主党議員の会・副会長
戦後補償を考える議員連盟・副会長
政府関係法人政策議員懇談会・副会長
民主党文化・芸術振興議員連盟・副会長
連合組織内議員懇談会・世話人

水岡俊一参議院議員(ウイキペデイアから)
城崎郡竹野町に生まれて小4の9月まで住んだ後、豊岡市に転居する。豊岡市立豊岡小学校(小4の9月まで豊岡市立竹野小学校に通う)、豊岡市立豊岡南中学校、兵庫県立豊岡高等学校、奈良教育大学教育学部特別理科教員養成課程卒。三木市で教職に就いたのち、兵庫県教職員組合本部書記次長、兵庫教育文化研究所副所長を経て、2004年の第20回参議院議員通常選挙にて初当選。2010年の第22回参議院議員通常選挙で二期目当選。公立高校授業料無料化の発案者である。

 恐るべきことに、この二人は米国下院議員のマイク・ホンダが来日した時には、江田五月とともに出迎え、彼が下院に提出した「日本政府への慰安婦に対する謝罪要求決議案(アメリカ合衆国下院121号決議)」につき、「謝意」を述べているのである。

 このような、自国の「正しい歴史」も教えられないような教員を「国立大学」が多く排出(誤字ではない!輩出とは思えないので)していることは大問題であるが、そのような輩を文部行政の中枢と、国家運営の中枢に据えるとは、もはや野田政権も長くはもつまい。

 またまた騙されるな!良識ある有権者、日本国民!!!民主党は、なんだかんだ誤魔化しても「日本が嫌い!左翼政権」である。


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